2009/09/14

身体は楽器


昨日のレッスンの中で、一つ素晴らしい体験をされた方が、
終わってから興奮しながらシェアしてくださいました。

私の最近の指導スタイルでは、最後のシャバアサナから覚める合図として、
まず私が一つの音を発声し、外界からの刺激をまず耳で受け取る準備をしてもらい、
そこから呼吸に意識を戻し、身体を動かしていく、という順番をとっています。

その最初の音(声)が、身体の中にすーっと入ってきて共鳴し、
足の先から体中がビリビリとした感覚に包まれたそうです。

お寺という環境の中では常に、全き沈黙から最初に音が生まれる瞬間を楽しむことが出来ます。

音を受け取るのは、耳であり、鼓膜が振動して、音として聴こえてくるわけですが、
実際のところ、振動しているのは鼓膜だけではないはずです。
身体中の意識が繊細になっていると、音に対して自分の全身が共鳴しているのをしっかりと感じられることがあります。

私はある時、10日間のあいだ毎日10時間瞑想し続けるという修行をしていたのですが、
その時にやはり、全身がまるでスピーカーの膜になったように、
人の声がするたびに全身がビリビリするのを絶えず感じ続けるほどの日々を送っていたことがあります。

これは、より粗雑なものから微細なものへ、意識を繊細に、繊細にしていく訓練を毎日行っていった結果、
そのようなところに現れてきたのでしたが、
昨日のレッスンでは、たったの1時間ハタヨガを行っただけです。

だとすれば、全身の血の巡りがよくなり、意識がいきわたりやすくなったことと、
全き沈黙の中から音が生まれてきたこと、
などなどによって、そのような体験が出来たのでしょうか。
また、私のレッスンに対して信頼感を持ってくださったことも理由の一つだと思われ、ありがたいことでした。

いつも、同じ体験がやってくるとも限らず、同じ条件が二度やってくるとも限りません。
またその人によっても、気付きは違うところに現れます。
すべてのものが、常に変化し続けます。

感覚に対する感動が、執着に変わっていくことも、一つの落とし穴です。

一瞬一瞬を新たに。

まっさらな、新たな瞬間として次の一瞬の未来を体験していけたら、
身体はまた、次なる共鳴を生み出してくれることと思います。

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