2007/09/08

待つ


最近も相変わらずRAWで撮影して→JPEGに現像して
web用にサイズを小さくして→アップ。

という手順を踏んでいます。

現像していて思い出すのは、ある写真家さんのこと。

故高田三郎先生の公式カメラマンであった彼女に縁あって私も撮っていただいたことがあります。
スナップ的な撮影で、その時には何も意識しなかったのですが、
1年も経ってから突然、彼女が
A4版の封筒をくれました。

中から自分の顔のアップが出てきてビックリ。

あの時の写真!?まさかこんな立派な作品にしてくださるとは、と感動していると、


「今なら(現像が上手く)出来そう、とビビッときたから。」


と、彼女は言ったのでした。
「へぇ~」と聞いていたのですが、実はあまりよく意味がわからなかったのですよね。
その時の私はカメラとは無縁で、今だって銀塩写真の本物の現像は一度も経験がないですし。

「現像っていつやるかによって違うの??」

今私のやっているのは、「たかが」デジタル写真。

それでも、

今は「現像が上手く出来そうな時」と「迷ってしまう時」がある、
ということが一応理解出来るようになったので、彼女の言葉を凄い、と感じるようになりました。
何をどうみせたいかによってもやることは変わってくる。

プロならばすぐにでも答えを出す必要が、時にはある。
けれど、締め切りのないその写真に「その時」が来るまで、
待つことが必要だと彼女は感じていたのでしょう。

シャッターを切るのは一瞬でも、作品として成り立つまでにかかる時間は、一瞬とは限らない。
必要なのは、時にひたすら作業することかもしれないし、
時に作業しないこと、ひたすら待つ時間かもしれない。
あるいは観想のようにこの花の線の一本一本が心に完全に焼き付くまで、ただ向き合うことかもしれない。

そうした結果得られるものは、見た目にはほんの些細なことかもしれない、
けれど、時にはそれが「ただのデータ」と「作品」との境界をつくることもある。
そうしたことを見極めていくのは、ある意味「写真を撮る」という行為の純度を
ひたすら上げていくことなのかもしれないなぁ。

そんな風に、「迷い」としてではなく、純粋な意味で時間をかけて写真をつくれるようになりたいなぁ。

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