2007/09/28

敬うこと


※ 2009/06 excite blog より引っ越してきました。
  そのため写真にロゴを入れたままになっております。
  そのうち修正しますのでご了承ください。



とある百貨店。

トイレを出て鏡に向かうと、隣の鏡の前の人が首にカッターをあてていた。
時々刃を動かそうとしているけれどまだ切れてはいない。
本気なのか、誰かに気付いてほしいのか。

誰か?

…って、私しかいない。
アクションが決められず、まずはその人の方に向き直って視線を送ってみる。

やめない。

私の視線に気付いているはずだけれど。。。
なんだか本気で死ぬのではない気がしてきた。

店員に知らせてくるには少しの空白が必要。

私が興味を示さなければあるいはやめたりしないかな?
と、また自分の鏡に向き直ってみたりもしたけれど、状況は変わらない。

恐怖はなかったけれど、刃物でもあるし、とにかく店員に知らせることにして静かにその場を離れたあとダッシュ。
1階だったので化粧品売り場で、近くに女性店員しかいなかった。
けれど、とっさに落ち着いた様子で話を聞いてくれたので私はその店員さんを信頼することにした。
状況を知らせた後、私は顛末を見ずに立ち去ったのだった。

第一に、客としては直接他の客と関わるよりは店員に任せたほうが安心だという判断があった。
第二に、私はとても急いでいた。

でも、客としてではなく人として、この時の判断はどうだっただろう。
その人のためらったカッターの持ち方から、私は勝手に判断した。
「すぐに死ぬような状況ではない」と。
でもなぜそんなこと私が決められようか。
次の瞬間その人が死んだとしたなら、私が立ち去ったことへの絶望が踏み台になったのかもしれない。

青白い顔をしている人だった。

私は急いでいた。
命より優先して急ぐべき場所とはどこだったのだろうか。

また、私が止めずに、仲介者を呼んだために仲介者の身に何かあったとしたら?
本人ではなく他の誰かが怪我をしたり命を落としたら?

私の眼は曇っていた。
その人を見たときこう思ったんだ。
あぁ心の病んだ人だ、と。
人が大勢いるところでは必ず何人かいる、突然奇声を発したりする人の仲間だと。
「メディアでよくみる、リストカットが癖のようになっている人」と、ある種のカテゴリ化をして私は見たのだろう。

カテゴリとは偏見のことだ。

それは目の前の真実そのものではない。
いつでも自分の目で見るという大事なことを、なぜ私は放棄したのか。

また無意識に、私はこう思ったに違いない。
あぁこれに関わったら長い時間かかりそうだなぁ、と。
時間とは、一体何よりも大事なものだったのだろうか。


すべての人に頭を垂れていたい。
愛する人、愛するのが難しい人、その時初めて会った人、百貨店の店員さん。
東京というところはあまりに大きく、しかし本当はみんながつながって生きている。
たくさんの人がいすぎて、ただ、どうつながっているのか自覚しにくいだけのはずだから。

その人を、その物を、そのありのままのすべての出来事を、敬い、そこに捧げられる自分でありたい。
自分の中の真実へと深く深くおりていくためのこの個人の人生の旅路は、決して自分の内側だけのものではないはず。
それは内であると同時に外であるはず。



幸せでありますように。

1 件のコメント:

  1. 大変な場面に遭遇しましたね。
    でも、多分私も同じ選択をすると思います。
    闇雲に止めに入るには危険な状況ですよね。余計な惨事を招きかねない。普通の人は同じ様に躊躇するんじゃないかな。結局警察や管理者を呼ぶのが一番無難と判断する所だと思います。
    今回のその方、ただのディスプレイ行為で済んでいると良いですね。
    私は本気で死にたい時、人が出入りしている洗面所など選ばないとも思うので、きっと無事だと勝手に思い込んでしまっていますが。

    2007/10/02 21:58

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