2007/02/07

ヨガ日記 meditation

PHOTO: 蝋梅シリーズ(?) その3



※ 長文になっちゃいました

studio yoggy にて、yuky 先生の
メディテーション ワークショップがあったので参加してきました。

禅の瞑想って、無になることが目標だったりしますが、
ヨガの瞑想ってもっといろんなやり方や目標の立て方があるんですね。
(よく知られているヨガのポーズって、そもそも瞑想で
長時間座れる身体をつくるためにあるのです。)

それで、そのクラスでは呼吸に集中していく瞑想と、
自分に課題を与えてそれについて考えていく瞑想をやってみました。

考える瞑想っていうのは要するに自己を内省する作業。
それで、やっていて気付いたのですが、私はこういうことを過去にやっている。
蓮華座を組んで瞑想した経験はなくても、なぜか慣れている。
それはどこでか?

大学時代、合唱団の指揮者の先生に連れられて、あるセッションへ。
フランス生まれの内観法、といえば良いのかな?PRHというものです。
5日間ほど郊外の環境の良い施設で少人数で合宿しながら、
色んな課題や方法を使って自己分析していくのです。
そこでとったノートが、5日で丸1冊くらい。
途中途中、自分の気付きをほかの参加者や先生とわかちあうこともあるし、
そうしないほうがいいと思う時は無理にはしない。
怪しくないですよー。ちゃんと確立されたメソッドを使っています。
過去の自分、現在、未来にわたって色んなことを分析的に理解することが出来ます。

その時リードしてくださった先生との縁で
その後も数年にわたって何度かセッションに参加させていただいていました。
ありのまま受け入れること、時には肯定的に変えていくこと、
自分の心の中がどうなっているか、可能性や、限界、私の本質的行動とは。などなど。。。

ずいぶん色々な方にも出会いました。
カトリックの神父様、シスターたちや、その卵や、写真家さんや、大作曲家先生や、
末期癌の方、70歳のおばあちゃん、歯医者さん、などなど。。。
その人たちと色々わかちあったことや、その時わかちあえなかった面や、
深い気付きや、たくさん泣いたこととか、色々色々思い出しました。

その先生が引退なさったのを機に私のセッション参加も途切れてしまったし、
今は誰か新しい先生のもとで、自分の心の奥底まで正直に見渡してみるのって、
難しいかなぁ、と思ってしまう。
そういうのを乗り越えられないのが、よくないんですけどね。

過去のこと。忘れていたわけではないし、
無意識にはそれらの経験がずっと役に立ってきてくれたと思いますが、
自分がそういうメソッドを身につけた人間だ、っていう生き方を最近していなかったかなぁ。
ノートをひっくり返して、過去やった課題をもう一回やってみよう、と思ったり。


反省する一方で、そうか、私はヨガは一からだけど、
何も、何もかも一からっていうわけじゃないんだな、という自信を持つべきだとも。
西洋思想から入って、回り道してヨガにたどり着いているけれど、
そうした道筋の結果として今ここにいることには自信をもって良いし、
自分の蓄積してきたものは今も変わらず全部自分なんだ。

ただそれらの繋がりを紐解くことができたならもっと色々生かしやすくなるのかも。

学ぶ時は謙虚に。
でも決して卑屈になったり焦ったりする必要はないし、
その時の自分を、ありのまま全部受け入れないと。


ヨガのニヤマ(推奨されること)の中に「サントーシャ」というのがあります。
Santosha = 知足。つまり現状に感謝すること。
あぁだったらいいのに、こうだったらいいのに、
と不平不満を述べずにあるがままを肯定的に受け入れること。

たまに、色んな事を無意識じゃなく、意識的にやってみないと、忘れます。(ガーン)

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