2006/12/27

しましま


昨日の大雨はすごかったですね。
靴がまるで洗ったように濡れてしまいました。

一夜明けて今朝の空の写真。
この後どんどん晴れて雲一つないコートのいらない晴天になります。

景色は、そして物事は、「移り変わっていく瞬間が美しい」のだそうです。

2006/12/24

今道友信 美について

美について (講談社現代新書 324)

美について (講談社現代新書 324) 今道友信著  


この世界では、光にたとえられる真理は太陽のように美しいものとして、人間の生活上の理念となる。光はそれ自体美しいと同時に、物の形が明確に見えてくるための条件である。したがって、見させる条件を構成するものとしての形が整っていること、それが美しいということになる。

                       本文:視覚的形式を追求したギリシア人 より

このブログは、新たな理念を打ち出すことだけでなく、過去の研究者がすでに研究し尽くして学問上常識となっている事項についても、それを私が「今日」実感として手に入れたのであれば、今日ここに書いていくことを恥じない、という試みです。

学問というのは概念を定義づけます。
それは知識ということです。
客観的な、人類の機知のもの「知識」と、私が自ら構成する意味での「知識」と、私自身の深奥での「実感」という、これらの関係を常に把握し、それらが同時に存在するよう構築していくことが大事だと私は考えます。

そして、今日は、美の構成要素としての光について。
昨日の写真も光でした。。。

2006/12/23


光とは、美とは、…

2006/12/22

秋を愛でつつ、冬を想う


1週間以内に撮った写真なので、今載せて嘘ではないと思うのですが、もう12月22日ですものね。。。
こういう色彩をすべて秋と括るのも短絡的といえばそうなのですが。

一方で銀杏や桜はすっかり枯れ木です。
何週か前まで小鳥がたくさん来て実をついばんでいた柿の木も、
最後の実が熟れきると同時にあっという間に食べ尽くされて、鳥の来ない樹になってしまいました。。。

冬の情緒ってなんだろう。(雪以外で)
知識じゃなく、探して、見つけたいです。今、自分の周りに。

枯れ葉のつもった土の上を歩くと、暖かさを感じます。
生分解して一体になっていく幸せな道を踏みしめた後に、
一体になることのない道を歩くと、少し心が痛い。

明日は少し、紅葉のことは振り切って考えようかな。。。

2006/12/21

白飛びよさようなら


Pentax *ist DS ISO 200. 1/1000. f/4.0. 63mm


今日も写真(RAW)について。
つい先日までJPGで撮っていた時の悩みは、白飛びでした。
デジタルカメラってフィルムに比べて階調の幅が狭いというか、
ちょっと明るさにコントラストがあるとすぐ黒つぶれや白飛びを起こしてしまいます。
最大限明るさを取り込みたいけれど、プラス補正でいざ撮ってみると真っ白~、というので、
限界があるなぁ、と感じていたわけです。

師匠(と崇めている友人)からは、フィルターを使ったら?と教えて頂いたので、
これからそちらもゆっくり試してみますね。

さて、もう一つの対応としてRAW現像という手があるんだ、ということに今日気付いた私。
(本読めばいいのにね。(^^;)
RAWなら、白飛びしないようにとりあえず暗めにでも撮影しておけば、
つまり潜在的にデータが存在する状態にさえしておけば、それを後で起こすことが出来る。
パソコンの画面上で、真っ白にはならないギリギリまで明るく、
自分の目で確認しながら限界まで補正していける。
なるほど~。

なんだかここ数日で、デジタルの可能性が私の中で突然大きく広がりました。

ちなみに写真に詳しい方へ
このブログを読んでいて、「それ違うよ~」という点があったら、
ぜひ教えてくださいな。(笑)

2006/12/20

RAW処理 2


手前の植物はほぼ見た目通り。空はこんなに鮮やかではありませんでした。
植物と、日の光の色を優先させたらこんな感じに。。。
んー、どちらかの現実を優先させたらどちらかは現実離れ…って、なんとも不思議ですねぇ。

でも、このカメラにとってはそれが現実だったんだなぁ。。。

ISO 200. 1/2500. f/3.5. 23 mm

2006/12/19

RAW処理


今日は何も書けず、写真のみ。
何の変哲もないただの下手な写真のように見えますが、
実はこのブログ初のRAWデータから起こした写真です。
今までRAWで撮ったことがないわけではありませんが、基本的にいつもジェイペグを使っていたので、撮影後の処理はコンパクトデジカメと何ら変わらなかったのです。

「RAWって何?」
「現像する前の生のデータのことだよ」
「デジタルだけど、現像?」
「そう、生のデータだから、基本的に現像しないと目で見られる形にならないの。」

…と、言われても、「ふーん」と聞き逃していた理由の一つは、
デジタルの現像って、=画像処理のことなので、なんとなく、作り物っぽい感じがしていたからです。
でも、ホワイトバランスを細かくいじったり、露光量も、その場の判断ではなく後でじっくり考えられるなんて、私向きなのかもしれないな~、と、ふと数日前に思い直してやってみたのでした。
(遅い!(^_^;)

やってみると色温度を細かくいじることが出来るし、一眼入門機である私のカメラよりも思い通りのホワイトバランスが再現出来る。
「加工」ではなく、あくまでも撮影時に行うべき設定や補正を後でやるだけの操作で留めておくなら、なるほどこれは立派に「現像」なんだな、と、初歩の理解にやっと達した私。
きっとフィルムをやってきた人なら、この辺りのことはすぐ理解出来るのでしょうね。

今日のはまだ、「とりあえずやってみました」という感じで、やりすぎかな~。。。

ISO 200. 1/250. f/4.5. 70mm です。

よし、これからは「現像」を覚えて、冬のカメラ道行き詰まり解消だ~。

2006/12/13

アロマレシピ リップクリーム


アロマで暮らす。シリーズ(?)開始4ヶ月にしてまだ3つ目のレシピ。(^^;
何か作っても写真を撮らずについつい過ぎていってしまうもので。。。

まずい!気付けば唇がかさかさだ。
というわけで、久々にリップクリームを作ってみました。


〈材料〉
ミツロウ 4g
植物油 16ml (ホホバオイル)
精油  3滴 (サンダルウッド2 : ラベンダー1)
遮光性容器

〈作り方〉
1.ミツロウ、植物油を小鍋に入れて湯煎の状態で加熱し、混ぜる。
2.ミツロウが完全に溶けたら火から下ろして少し冷ます。
3.精油を加え、混ぜる。
4.遮光性のある容器に入れる。
5.冷えて固まったらできあがり。

〈注意点〉
1.保存期間は半年程度。…ですが、私はもっと大丈夫だと思います。
  自己責任で、香りなどで判断しましょう。
2.最初に材料を量ってみると出来上がる量が想像出来ると思います。
  これは多いなぁ~と思ったら、同じ割合で全体量を減らしましょう。
  でも、面倒なので作り貯めしたほうが長続きすると思いますが。


今回はあり合わせの材料だったので上記の組み合わせになりました。
(サンダルウッドは保湿効果が高く、ラベンダーは殺菌や、炎症に効きます。)
私が学校で習ったのは下記の配合でした。

ミツロウ 20g
アーモンドオイル 50ml
ウィートジャムオイル 15ml
精油:レモン 2滴
精油:ミルラ 1滴

んー確かに効きそうなレシピ。
ただ、レモンはビタミンCを含むので、色素沈着の恐れがあります。
この時期は心配ないと思いますが、夏に向けては、
外出前にこの配合のリップクリームを使用するのはなんとなく気になるかも。。。
また、ウィートジャムオイルはホホバにくらべて劣化が早いので1~3ヶ月の保存期間と考えます。

〈写真の説明〉
今回使った物を全部撮りました。
(…かき回す棒が写ってないけど。)

右の銀色の台が量り
その上に乗っている小皿の中の黄色い物がミツロウ
中央後ろのブルーの瓶が植物油
中央真ん中が植物油を量るためのビーカー
中央手前の白い容器が完成品です。(中身みせればよかった(^^;)
左手前は精油
左後ろはミツロウを溶かすためのウォーマー。
よくあるアロマポットと同じように、ウォーマーの手前に写っているティーキャンドルを中に入れて下から熱し、
上の取っ手のついた容器を鍋のように使います。

…が、このウォーマーがなくても台所で小鍋を用意すれば出来ますし、
ビーカーがなくても料理用の小さじや大さじ、などなど、量れれば何でも良いわけです。
と、いうわけで本当に必要な材料は上記の〈材料〉のところに書いてあるものだけです。

以前の混ぜるだけレシピから比べると少々面倒ですが、
自分の好きな香りのリップクリーム、楽しいですよ~。
また、どうしても好きな香りの精油が見つからない!という方には、
精油抜きでも完成品として成り立ちます。
上記の植物油に保湿・抗炎症などの作用が含まれているからです。

また、鉱物油でも精油は溶けますが、浸透性が悪く皮膚の毛穴に詰まりやすいそうです。
更に、植物油でも食用のものは加熱処理や添加物が加えられていたりと、
スキンケアに向く保証がありません。
アロマ屋さんでキャリアオイルとして売られているものの方が安心です。
精油や植物油に関する注意事項は以前の記事にも書いているのでもしよかったらご覧下さい。
(そのうち注意事項だけまとめます。)

※ 実践の際は自己責任でお願いしますね~。

ヨガ:動と静


PHOTO: 高幡不動尊にて その2


今年の締めに入る時期ですね~。
まずい、ほとんど何もしていない。(>_<)

でもヨガは相変わらず続けております。

久々に身体を動かしたりすると、身体が伸びている~とか、痛い~とか、
そういう身体のあちこちの部分に気付いて、

それはそれで面白いのですが、続けているということはやはり偉大で、

伸びたり筋肉を使ったりするのが当たり前になってそのことに気を取られなくなると、
ヨガのクラス中どんなに身体を動かしても、伸ばしても縮めてもひねっても、
何をしていてもずーっと自分の内側だけに集中し続けられるようになっていることに気付きます。
じっとしているわけではなく、動き続けているにもかかわらず常に瞑想状態、のような(?)

じっとしていても身体の中のエネルギーが活発に流れるようにしていき、
また、激しく動いていても心を平静に保つようにしていく。

動の中には静を見、静の中には動を見る。

んー、一瞬と永遠の関係って、多分こういうものなんだろうなぁ、とおぼろげに理解したり。
これは音楽をやっていても感じますよね。
動と静が同時に存在するということ。
それは美につながる大事な要素。

…ん?待てよ。こういうのは日本人的発想なのかな?
今、自分で書きながら竜安寺の石庭を連想していました。

でも西洋音楽からもやっぱり感じるんですよねぇ。
洋の東西ではなく、物事の本質、と見るのがいいのかな。。。

2006/12/12

高幡不動尊にて


こちらは高幡不動尊。週末にふらっと行ってみたのです。
日も傾きかけて、寒くて、人もあまりいなくて寂しかったですけどなぜか突然行きたくて~。
この後すぐに空は夕焼けになるのですが、やっぱりもう冬。
鮮やかな色にはなりません。

柔らかい光。柔らかい青空。柔らかい雲。薄さ。軽さ。大気。そして風。
すべての柔らかいもの、やさしいものを、鋭くする風。

そしてやっぱり、寂しさ。。。

私の眼も、感覚も、写真も、それを受けて迷う。
こんなところまで行ったって、建物なんて見ていない。
やる気のなさは写真を撮ればすぐバレてしまいます。

んー、暖かさはどこだろう。
冷たい風の中に見えないかな。
または輪郭。際立つモノの形。
強さ。

見ようとしなければ。ただ迷うのではなく。
それが見えたら、葉が落ちても、撮り続けられるかもしれないのに。
今が瀬戸際。

美しい写真なんて撮れなくても良いのかもしれない。
ただ、見えるようになりたい。
そのために撮りたい。

目の前に今見えているのがまさに真実だと知りつつも、
自分の意識の繊細さの方をつい疑いたくなってしまう。。。

2006/12/10

まだまだ


先週、「今日辺りは枯れ木だらけだろう」と予想したのですが、
なんだまだまだこれから紅葉するような木すらあって、
本当に今年は暖かかったのですねぇ。
葉っぱをカサカサ踏みながら歩くのが楽しい今日この頃です。

2006/12/09

『ダンテとその時代』

※ 長文です。

九段にある
イタリア文化会館へ。

(さっきと同じ書き出しですが、違う記事(^^))

地下1階アニエッリホールでは今日、
さきほど紹介したダンテの関連企画として
『ダンテ連続講演』の第3回、
『ダンテとその時代』という講義が行われました。
(講師:西本晃二氏)

面白かった!

ダンテの生きた中世からルネッサンスへ、という時代、
今日の講義はその時代背景と『神曲』の関係を解き明かす内容でした。

複雑な時代を複雑に語っているにも関わらずとてもわかりやすいお話。

唸ります。

西本先生のファンになったかも。(^^)

先日から、このブログや、アンサンブル友達との間の会話でも、
美の認識と、その前提としての知識について話題にしてきているのですが、
まさにダンテなどを理解するには、時代背景を知らずして何の意味があろうか、
というくらい歴史を学ぶことが大事になってきます。

たとえばダンテ自身が教皇派であったか皇帝派であったか、
ということが神曲の登場人物に大きく関わっていますし、

「え?その派って何?」「それは…」という風に、
結局は当時のイタリア、ヨーロッパ情勢をたどることになる。

また、ルネサンスへとつながる潮流がこの時代すでに生まれてきていることも指摘にありました。
(地獄編第26歌を例に挙げておられました。)

ダンテは(1265-1321)ととても早い時代の人ですが、
その彼自身の思想の中にもそのような兆候がみられることを具体的に確認でき、成果でした。

さて、そのルネサンス的なものの兆候(萌芽)とは何でしょう。
古典への回帰?
いえ、そうではありません。

ルネサンスの大事な要素として、「総合の時代である」ということが挙げられます。
知への純粋な回帰、ともとれるかもしれません。

ルネサンス時代の偉人達は、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるように、
万能たること、知の統合、根源への回帰などを目指した傾向が強かった。

この認識は、現代において非常に重要なことであると私は考えます。

なぜ?

講義の中でも指摘されましたが、現代は集積した知識が膨れあがって爆発してしまい、
一人一人の頭に持ちきれなくなってしまった時代と言われています。

その結果どうなったか?

「専門家の時代」になってしまい、それぞれの分野毎の専門家が
バラバラに知識を所有するようになりました。

しかし、これは問題ではないでしょうか?

私が学問を志す理由は、そもそも高校時代からのこの疑問のためでした。

もちろん私達は人類全体として知の集積を共有しており、
全体として今までの歴史を背負っていることは事実ですが、
私という人間は、一人で、様々な部分の集合でなければおかしい。
知識としてすべてを知ることはもちろん不可能でも、
私は心理学という一分野なのでしょうか?私はコンピュータ?私は言語学における音声分析?

そうではなくて、どの学問も、もとをたどれば一人の人間の中に必要なものの「部分」に過ぎないはず。
人間は一部分だけで成り立つはずがない。

ということは、私という人間が自分にとっての真実を探そうとするとき、人生を全うしようとするとき、
専門的になればなるほど重箱の隅をつつくような小さな研究をしている今の学問体系のあり方の中で、いくら勉強しても全う出来るはずがない。

そもそも学問というものは勉強すればするほどたった一つの自分の核に迫っていく(核心に迫る)ものであるのが正しいあり方である。

追求するほどに根源的なものと深く結びついていくのが正しい学問のあり方だ。

そう信じて、いや、あまりにそう確信しすぎて、私は大学院の道を棄てた、
という過去を持つのですが、(^^;

本当のところは、現代という時代は専門家の時代に留まってなどいません。
その次が来ようとしているのが現代であるとご存じの方も大勢いると思います。

「こんなバラバラな時代では具合が悪い」と考えた人がもちろん私のほかにもたくさんいて、
もう一度統合しようと色々試みているんですね。

それで、私は一応そういう動きのある大学に入ったつもりだったんですが、
実際それはうまく行ってはいなかった。

様々な試みの中で重要なのは、やはり過去からヒントをもらうことで、
つまり中世・ルネサンスからヒントをもらうことが大きく役に立ちます。

現代という時代が専門家の時代から再び総合の時代へと移るべくもがき苦しんでいる時代だとするなら、
同じ総合の時代であるルネサンス人たちが、何を核とし、何を動機とし、
どこに回帰し、どのように「統合」しようと試みたか、ということに大いなるヒントがあると思うのです。

このブログには過去にペトラルカも登場していますが、ダンテは多分、もっとわかりやすいヒントをくれます。
そして、ダンテ、ペトラルカ、そしてその後の時代のすべてのルネサンス人たちへと、
連鎖する鎖のような知の連なりを辿り、地道に知識と感覚を重ねていけば、
自分の中にもいろいろなことが見出せる。

と信じて、今日も私はポリフォニーを、そんな視線で愛しているのでした。。。
…と、無理やり音楽で結んでみたりして。(^^;

チェッコ・ボナノッテの描くダンテ『神曲』展

九段にあるイタリア文化会館へ。

1階ホールでは、「
チェッコ・ボナノッテの描くダンテ『神曲』展」 を開催中でした。

神曲の1歌につき1枚の絵が描かれており、その絵の美しさ、透明さを楽しむも良し、
また、1歌毎に日本語による要約がちゃんとついているので、
「『神曲』を自分で読むのは大変だけれど、内容は知りたいな~。」という方には、
一気にダンテの神曲がどんなお話か知るチャンスです。

私は、これが挿絵の神曲、手元にあったらいいなぁ。と思いましたよ。

13日まで開催中)

2006/12/06

寒さの中


今年は私のカメラ2年目です。
去年みたいに冬眠しないで、今年は冬の光の美しさを見極めてみようかなぁ。

…だけど、寒い。

やっぱり寒いよー。

2006/12/05

友よ


日曜日は楽しいこと、嬉しいこと、勉強になること、笑ってしまうこと、たくさんあった。
でも一番密度の濃さを感じた時間は、友人から癌だと告白された午後の1時間だったと思う。

心だけが勇気を与えられるのだと信じて、しなやかに、まっすぐに、深く…
友を道化にしてしまわないように。
聞くこと、受け入れること、ここにいることだけが私の役目。


ただ、別れ際にふと、生きようが死のうがこれは永久の別れなのだと気付いて、
その心構えが不覚にも崩れてしまった。
遠い遠い家族のもとへ、病気で、ここを去ろうとしている友に。

何もかもが、不確か。


別れの歌を歌ってくれと言われた時、なんでもっとまじめに歌わなかったんだろう。
病気のことなんて知らなかったから?

死ぬかもしれないから同情するのか。
もう会えないから惜しむのか。

捧げる力が足りない!
今この瞬間を、もっと深く。

別れの場面とその笑顔を、一生抱えて私は暮らしていくのだろうか。



後悔なんかしない。
ただ未来への決意だけは、今私に必要だ。

2006/12/03

ゆらゆら


ところ変わって東京。
ゆらゆらと葉の間に揺れる柔らかな陽ざし。

写真を続けていて、技術はさっぱり向上していないのですが、(^^;
色々なモノの見方は着実に身に付いて来ているように思います。

たとえば光です。
日常のちょっとした光の美しさを以前より捉えられるようになりました。

…それを結果に残せたら、もっといいんですけどね~。
べたっと潰さずに、光の奥行きを写しこみたい。

2006/12/02

熊本市


熊本市の市電。
雲っていることが多かったためか、なんとなく今回の熊本、写真を撮る気があまりおきず。
でもとても街の印象はよかったです。
あちこちでやさしくしていただいたし。

熊本市の人口は669,604人だそうですが、なんだか100万都市並に栄えている感じがしました。

築城400年を迎えようとしている熊本城。
なんだかあの街中にそびえ立つお城のせいか、ちゃんと「顔のある都市」という感じがしました。

後で聞いたところによると、ファッション業界で東京大阪の次の3店舗目をどこに展開するか、
という候補に必ず挙がってくるのが熊本だそうです。
東京の流行に流されずに自分たちで良いものを判断する確かさ(ガンコさ)も持っていて、
ここで成功すれば全国で展開できると言われているのだとか。

紅葉も良いけれど5月くらいにまた行きたいな、と思う熊本でした。