2006/08/31

対峙し、浸透し…


夏の日差しは強力で、物は明るくなると同時に暗くなる。
それは単純に光の部分と影の部分が出来るということではなく、光の中にも影を落とす。
両者はいかに一体かということを感じる。
白く明るく、しかし白くなりすぎれば消えていく。
オレンジの光も、強くなりすぎれば昼でも影になる。
そして黒い影も白くなる。

果てしなく明るくなるのかと思いきや、極まれば逆のものになる、この感じが大好き。夏。

2006/08/30

なるようになる


…ということなんだなぁ、と、ふと思う。

2006/08/29

ビル風

この花を綺麗に撮ろうと、風が止むのを待っていました。
時々ほんの少し止むのですが、またすぐ吹きだしてブレるのです。
結局時間がなくなって、なんとな~く納得出来ないまま立ち去ることに。
その風がビル風で、待っても止む見込みは少ないと後で気付きました。
んー、都会の安らぎなんてそんなものか。。。

こんな日の私も、私、かな。

2006/08/28

小さな人の輪


PHOTO: 6月末の鎌倉にて。


ちょっと遅れましたが、土曜日はアンサンブルグループの総会(飲み会)でした。
私はこの当日結構バタバタしてしまい、
そのため宴会に旅行のお土産を持参するのも忘れてしまったし、
何よりも具体的な曲、CDなどの提案事項もなしに手ぶらで本部(個人宅)にお邪魔することに。
そしてやっぱり予想通り、曲は決まりませんでした。
選曲したいと本気で思うなら自分で動かないとだめですよね。
もうかなり反省です。

しかし、大分遅れて到着してみると、出たいコンペティションや会計方法、
具体的ではないにしてもどういう曲をやりたいという方向性など、
今後必要と思われることはちゃ~んと決まっていた!
みんなさすがだ!
そしてやっぱりみんな歌が大好きなんだなぁ。

…というわけで私はその日ほとんどごちそうを食べて歓談するためだけに
行ったような形になりました。
ごちそうさまでした。m(__)m

そんな風に何か色々学びつつも、
ほとんど主体的に運営することは考えずに気楽に参加する宴会。
なかなかゆるくて、良い感じ。
でも次回はちゃんと曲持っていこうっと。

小さな人の輪を大事にしよう。

2006/08/27

一発勝負


PHOTO: こういう咄嗟の集中力がもう少し欲しいです。。。


今日は「結果を残せない日」でした。
…良いや、また頑張ります!

2006/08/26

PENTAX FORUM へ

先日までの旅行、その最終日、青森県立美術館を出たところで急にカメラが起動しなくなりました。
最終目的地に着いてカメラも安心したのか。。。
まあ充電切れだろう、と思いつつ帰宅してフル充電してみたものの、立ち上がらず!

追求する暇もあまりなく、
原因がわからないまま数日経過。

後日新宿の PENTAX FORUM に行ってカメラを診てもらうと、…

電池を入れ替えたら動いたじゃん!

?????

その後なぜか、もともと入れていた電池でも普通に動くようになり、
窓口の方も、「うーん、まあ様子を見てみてください。」とおっしゃってました。

あれは本当にカメラの旅疲れだったんだろうか。。。

でもついでにCCDとファインダーのクリーニングもしてもらいましたし、
この
PENTAX FORUM ってなかなか面白い場所で、行って損ではなかったです。

修理や問い合わせの窓口と、PENTAX 商品のショールーム、ソファ、
写真関連のちょっとした本棚、それにギャラリーが併設されています。

私が行った時は
井上六郎さんという方の個展になっており、
『マイヨ・ジョーヌ』という展示をしていました。
自転車レースの写真ですね。
(とっても綺麗なので興味のある方はリンクへ飛んでいってみてください。)
作家さんもいらっしゃっていました。
質問したり出来るのはギャラリーの良いところです。

このビルには同じ階隣りにエプソンのギャラリー
epsite も入っているので、
(そして Canon も同じ階に入っています。なぜかたまるのかな?)
2つのギャラリーを連続してまわると、
ちょっとした写真美術館に行ったような満足感を味わえます。

絵もそうだけれど、芸術鑑賞は美術館だけじゃないですよね~。
もっとギャラリー巡りしてみようかな。

秋になると、美術館も毎週どこかへ行っても追いつかないくらい展覧会ラッシュになりますね。
今年は
サルヴァドール・ダリ生誕100年!

弘前昇天教会 2

まーぶしー。

2006/08/25

教会


弘前昇天教会 県指定文化財

吉井酒造煉瓦倉庫に続き、弘前の誇る美しい建物第二弾です。
こちらも中央弘前駅のすぐ近く。
何度かこの前を通りましたが、その度に誰かが写真を撮りに来ていました。
絵になる構図をいっぱい持っている正公会の教会です。

この教会や、県立美術館などを観ていて、
青森の美しい建物の条件は雪の情景の似合う建物であるような気がしました。

2006/08/22

表現しないと生きていけない


PHOTO: 金魚ねぷた折り紙


今回の旅行中の色々な経験から、
私、作品を作ってみようかな、って思い始めました。
デジカメで撮った写真は、画面で観るだけなら電力以外一切かからないので、
とっても安くあがる趣味なんですけど、
やっぱり時に何かの形にするところまでやらないと、
作品とは言えないですよねー。

それにやっぱり写真には色々な性質があって、
ここに載せているみたいに1枚ずつでも良い場合もあれば、
1枚では意味がなくても組写真にすると良かったり、
スライドショーにするとよかったり、
引き延ばさないとだめな写真もあれば
マッチ箱みたいに小さくしたほうが良い写真もあるんですよね。

一つの形式をある程度継続してみたくて今のブログの形式を選んだのだけれど、
それだけというわけにはいかないみたい。
写真を撮る技術だけで写真が成り立っているわけではないんですねぇ。

歌仲間との旅で、音楽について考えたり、
写真を観たり絵を観たり、建築を観たりしていて、
やっぱり、自分のやれることならどんな表現手段も
使っていかないといけないのかもしれないと思ったんです。

写真を撮り続けているだけじゃなくて
結局最後には絵も描かなければならないのかもしれない。

奈良さんだって、ドローイングや立体造形であんなに表現出来るのに、
写真も撮っている。

有名な写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソンは多くのスケッチも残している。

なぜ?
描かざるをえなかったからとしか言えないと思います。

自分が今考えていることをこうして文章に残すことは、
自分自身が欲していることであるように、
歌だって、写真だって、ヨガだって、
やめようと思えばいつでもやめられるという単純なものじゃなくて、
そういう表現をしないと多分私は生きていけないからそうするんじゃないかな、と漠然と感じる。
だからどれもこれも、単なる「趣味です」と言ってしまうことを私は好まない。

雑記帳に毎日いろんなことを書いています。
その日その日を記録して忘れないようにしたいから?
いや違うなぁ。
自分の今考えていることを残しておきたいからというのは当たっている。
それに、今まさに生まれようとしている「考えの入り口」を失わないようにメモしておいたり。
明日へとつなげていくためだったり。

歌うことによって、今の自分の感性がどういう振れ幅を持っているか、
深度はどれくらいか、
どれだけ打つとどれだけ響くか、
敏捷性はどうか、
自分の軸から自分がブレていないか、
色んな事を確かめてみる。

そんな風に、純粋に歌うこと、合唱すること自体が好きというよりも、
歌っていない大部分の時間帯の自分、
そもそもの自分というものの本体が歌うことを必要としているから歌う。
自分にとって音楽というものがそういう意味を持っていることは、
ずーっと前から知っていた。

奈良美智さんが言っていたっけ。
自分は職業としてこの道を選んだというよりも、生き方として選んだということだ。

生き方として…
その点だけなら、私も同じだ。
例えばヨガだって、もはや生き方として選んでいるとしか言えなくなっている。
ただ、それらを職業にしていない「だけ」。
(もちろんそこには海よりも深い違いがあることはよくわかるけれど。)

職業にしないからといって、一つ一つの表現を深めていく努力、
技術を増していく努力は大事だ。
でもそれと同じくらい、表現手段を多く持っていることも大事なように感じる。
上手いとか下手とかじゃなく、それらはなりふり構わずしなければならないと思う。

かっこつけている余裕なんて全然なくて、
たとえば祈ることと同じで、
必要な時に必要なだけ、必要なやり方で。

さて~、どんな作品作ろうかな~。

でも生まれてくる目の前の作品は、
きっと趣味とよべる小さな楽しみなんだろうけどな。(^^;

2006/08/21

一度では話せないことも書ける

PHOTO: the way to HIROSAKI


ブログって、1回の会話で説明するのは難しいことも、
何度かにわけて一方的に発信できてしまう便利なツールだと思います。

つまり、「私」という人間に関するコンテクストを読者の中に構築してしまおうという厚かましさがあるわけです。
他人の長期記憶を構築できる、という言い方もできますね。
もし、いつも読んでくださっていれば、ですが。

一つの主張をする時には、いきなりするのでは無意味で、
そのコンテクストから説明しなければならない。
だから時々私は、ある用語に関する単なる解説ともとれるような記事を書くことがありますが、
何も自分の得た知識をひけらかそうというわけではありません。(ex.発酵と腐敗)

ひけらかすほどの知識があるとも考えていないし、
一つ一つの知識そのものがそこまで重要なわけでもない。
ただその記事そのものよりもその先にある主張にたどり着くための足がかりとなるのです。
自分という人間の何かを知ってもらおうと思うとき、
先に説明しておかなければならないことがあれば、書かなければならない。

こうしてブログを持っていることによって、時に自分のバカさ加減をさらけ出すとしても、
私はこうして勝手に構築し、勝手に提示することの出来るツールを持っていることを嬉しく思っています。

などなどと述べつつ、今日も旅行の写真を貼って、おやすみなさい。。。

2006/08/20

白い花火


「この花花火みたいできれいだね~」
「花火が花みたいなんだよ」
「世の中の大発見はみんな大発見じゃないんだから。人間が知らなかっただけなんだから。」
「そうだね、自然はもともとこうだったんだね…」

広い湿原、木道、咲き乱れる日光キスゲ、その他の小さな花たち、澄んだ水、
青い海のような山々の峰、吹きすぎる霧、低い木々…

星をみること



「年を重ねることは常に喜びであると思う。」
…と、手放しで宣言できるほど、常に大人でいられたらいいけれど、そうでもない。
ただ、ずっと前から私の信条ではあります。
今回は本当にかみしめた。
何かを純粋に、自分の重ねてきた年月の重さ分味わう。
この旅のキーワードでした。

この花もそうだけれど、星と、花火大会を観ながら特にそう思った。
夕方まず北斗七星から北極星を探し始めて、
次第次第にたくさんみえるようになりました。天の川も。さそり座も。
夏の大三角形、わからなくて教えてもらいました。ありがとう。(^^)/
ずいぶん長い間星ばかりみていましたね。

花火は人混みの中じゃなく、少し距離があったのがよかったです。
緩やかな斜面の上に立って遠く眺めると、
草原に花火は自分たちだけのものだったし、
背後には星も山も、深かった。

星と、花火と、また星と…
観るというただそれだけのことを、ずいぶん長い時間かけて。

私は星を観ながら、これは「子供にかえる」という感覚とは違うな、と思った。
純粋さは確かにあるのだけれど、
子供のようになんて観ていなくて、今まで重ねてきた年月の分、ちゃんと重く感動して観られた。
傍には友人たちがいて。
そういう手応えもあったから、実感としてしあわせのようなものがこみ上げてくるのを感じながらそれらを観た。
とても確かなものとして。
また奇跡として。


流れ星は、気のせいかもしれないのが3つと、確実なのが1つ。
確実な1つには、願い事はできたと思う。
3回は無理だけど。
こういう行為は子供か大人か??

(※ 星の写真はないのでありました。)

2006/08/18

夏のかけら


というわけで旅行から帰りました~。
結構余力は残しております。
ゆるい感じがなかなかよい、今回の行程でした。

写真…どうもみんなと一緒に過ごしている時に大きなカメラを持ち出してきて
カシャカシャ音をさせるのが好きではない私。
だからせっかくの旅行ですが、人物写真はなかなか撮れないんですよ~。

レンズを向けることで相手に抵抗を感じさせないくらい
自然にそこにいられるようになると良いのですよね。

さて、今日の写真は、八幡平のコテージ前に大きな蟻の巣を作っていた主、です。
後ろの三角の黒い影はコテージの屋根です。
16日の早朝撮影。

明日以降ゆっくり選んでまた載せます。
とりあえず今日はおやすみなさ~い。

2006/08/16

八幡平、弘前、青森旅行中…

せまる山
深まる夏の色
オレンジの光
光る田畑
路傍のひまわり
深い影
道の両側から押し寄せる静寂
濃密な青空
友人たちとの会話。。。

コテージ
やさしい近景の斜面
木立
レンゲの足元の大きな蟻の巣
見上げる山の力
色彩
木々の言葉のように押し寄せてくる沈黙
かみしめる時間
軒先の若い栗のイガ。
暮れる空

傍らの友人
北極星
増えていく星をみながらこみあげてくる気持ち。
流れ星の刹那

遠く眺める花火大会
頭上の天の川
薄れていく言葉の必要性
仲間の存在、
自分、

温泉の湯気
部屋での語りあかし
色濃く埋め尽くす山の静けさ

あぁなんて、…夏休みなんだろう!
感動や、穏やかさや、美にあふれる8月15日にずっとずっと感謝し通す。


そして今日も、やっぱりたくさん経て、弘前に泊まっています。
明日別な場所にもう1泊して次の夜には帰宅予定。
贅沢。。。

2006/08/11

祈る


心の中に、いつも火が燃えていますように。
身体にも、そうでありますように。
そのあたたかさを、いつも信じていられますように。
その火が、いつも正しい方へと導いてくれますように。

2006/08/06

空日記 diario del cielo


冬の間、全然写真を撮っていなかった。
えい!と一眼レフカメラを持ち出してみても、全然撮る気にならなかった。
冬眠、してました。
春になって、よーし、とカメラを持ち出しはじめて、このブログを始めました。

でもね、冬の間、空日記だけはつけてました。
日が沈むのが早くて、5時頃には真っ暗な冬。
昼間全く空をみないで仕事やいろんな作業をして過ごしているのが不毛に思えた。
朝起きて外に出たら、携帯カメラでパシャッと1枚。
信号待ちやちょっと立ち止まった一瞬の撮影。
綺麗に撮ろうとか、美しいなとかそんなに意識するでもなく、ただ毎朝空を撮る。
余計な建物は写さないで、ただ空だけが写るように撮る。
空を携帯に収めておいたら一日一緒に過ごせるような気がしたのかな。

そして、ただ真っ青とか灰色とか、色だけしか写っていないようなその写真を、
夜、日記に貼り付けたりしてました。


その空日記をふりかえる。
単調な色の繰り返しの中、ちょっと美しい体験がありました。

朝起きてカーテンをあけたら、見慣れたビルとビルの間に赤々と朝陽に照らされた見慣れぬ美しいものが輝いていた。
それは、真っ白く雪をかぶった富士山!感動!
うちから富士山が見えるなんて知らなかった私。
あんなに大きいのに、冬の澄んだ朝しか見えないみたい。
空気って不思議。。。
こんな文章を書きながら、「ビルとビル」の間が写るのが嫌で、この日の空日記もやっぱり朝焼けの空だけを撮っている。


今日は久々に、そんな劇的な空日記が書けそうだった。
夕方の空は、半分はまだ青く、半分は赤く美しかった。
その夕焼けの方向を向いて写真を撮ろうとするのだけれど、
どこまで行ってもあちこちの建物が邪魔でその赤く輝く方向が見えない。
そんな時間にそんなところにいた自分に運がなかったのだけれど。
観念して頭上の空をまっすぐファインダーに納める。
今日の空日記。

2006/08/04

雲かけ豆腐


醒狂道人何必醇著 『豆腐百珍』より 佳品 四十四 雲かけ豆腐


『豆腐百珍』を、そのうち極めようと思うのですよ。(笑)

今日の料理は江戸時代に書かれた豆腐料理のバイブルより、です。

水切りした豆腐に白玉粉をまぶして蒸しあげ、山葵味噌をのせたものです。
蒸しあがり、半透明の膜状になった白玉粉が雲のようにふんわりと見える…はず。^^;

山葵味噌は白味噌、白胡麻、胡桃、酒、山葵をすり鉢であたって作ります。
えーと、原典(私のは今貸し出し中)には分量なんて書いていなかったような気がします。
白味噌をベースに酒で水分調節。お好みの配合で適当でも美味しいです。
写真では胡桃と山葵をトッピングしました。

白玉粉の食感が、ごま豆腐に通じるモチモチ感を生みます。
すごーく上品な美味しさでお薦めですよ~。

2006/08/02

今日の猫 diario del gatto


う~ん、眠すぎて何も書けない。。。おやすみなさ~い。