2006/07/31

梅雨明け、夏


う~ん、日曜日とても天気がいいなぁ、と思っていたら梅雨明けしていたんですね。

私は夏大好きです。
たとえば関東以南では時々観られるくっきりとした入道雲の形や、
日差しの眩しさ、逆に、日陰の心地よさ、(この光と影のコントラスト!)

スイカ、とか、セミ、とか、具体的なことは書いたらきりがないですね。

汗をいっぱいかくと、空気と、汗と、自分の身体との境目が全部曖昧になる感じがしませんか?
私はこの感覚も、結構好きだったりします。
(反論がいっぱい来そう~)

夏があっという間に去っていく東北には永住できないなぁ、と思ったこともあります。

寒さの中では、動けないです。
ちょっと悲しくなるし。。。

暑さの中には、悲しみはない…というわけではないけれど、
抽象的なたとえをするなら、寒さは悲しみで暑さは決意だと思う。
…根拠なしですね。(^^;

暑いときは、気合いがあれば動けます。
この辺はきっと人によって違うんでしょうね。
私は暑い、暑い…と思っていると、逆に自分にすごく集中できていく感じがする。
(ん?上手く表現できません。)

去年の京都、ものすごい暑さでしたが、一日中足が棒になるほど歩いた日がありました。
ものすごくまじめに勉強するつもりで丁寧に丁寧に観光しました。
途中で身の危険を感じてお寺の隅の水飲み場で水をかぶらなければならないくらい暑かったですが、
すごく集中できて充実しました。

正真正銘の田舎と呼べる場所に暮らしたことはないけれど、
海や空、風、木々など、夏の魅力を伝えるものの恩恵はずいぶん受けて育ったし、
それが根本的に夏好き人間を作っているのかなぁ。

…さてと、オチがないので、今夜は夏野菜カレーでも作るかな。

2006/07/29

玉ねぎのロースト

料理の写真、ずーっと撮りたいと思っていました。

多分スナップよりも料理の写真の方が、私のやりたいことです。
自分で作って、セッティングして、じっくり撮る。
「その場に居合わせなければならない」という焦りがないのが良いじゃないですか~。

でもなかなか、いつもの私のフォトログサイズにして公開できるクォリティーの料理写真、
っていうのは難しいですね~。

蛍光灯や白熱灯だと、なぜかすごく美味しくなさそうに写るし~。
今日はふと、
昼間で、曇っていて、均一なやさしい自然光の入るテーブル。(の上の料理。)
こういう何気ない条件が揃っていたので、撮ってみましたが、
だめだ~、と、小さい写真をアップです。


いつか、大きな写真をばしばしアップだ~。


月森紀子さんのレシピより 「玉ねぎのロースト」

玉ねぎを皮ごと、塩と油をかけてただオーブンで焼くだけです。
ソースのレシピなどは月森さんの本をご覧いただきたいですが、
ソースがなくても玉ねぎが甘いから、塩だけでも十分かも。
ウマイです。
料理とは呼べないくらい単純ですが、シンプルって気持ちがいいし、美味しいな。

2006/07/23

応援花


…なぜ自分までドキドキするかな。
こういうのってあんまりない。
今日はそんな日。
連続ドラマ、毎週は観てこなかったけれど、夜中に解説番組をやっていて、
観ていたらいつの間にか感情移入しちゃった感じかな。
がんばれー。

なんだかとっても楽しみになってきた~♪♪♪

2006/07/22

霧の中


高地では、樹の形が平野とは違ってきますね。
厳しい環境に適応した結果。

…なんか好き。。。

2006/07/21

犬童一心監督

さっき、犬童一心監督の映画を一つ紹介したので、
ついでに監督のほかの作品の、個人的鑑賞おぼえがきです。

「二人が喋ってる。」「金魚の一生」 犬童一心監督作品集 [DVD]
『二人が喋ってる。』『金魚の一生』 犬童一心監督作品集  1997 DVDにて

金髪の草原 [DVD]
『金髪の草原』 1999 VTRにて (DVDも出てます)
池脇千鶴さんと犬童監督のコンビって、ジョゼ虎からじゃなかったんですね~。

ジョゼと虎と魚たち(通常版) [DVD]
『ジョセと虎と魚たち』 2004 シネクイントにて

私が犬童監督のファンになったきっかけの作品です。
ミニシアター系上映だったので観られなかった方も多いかも。
生々しいのが苦手な方にはお勧めできませんが、ほんとに名作です。

死に花 [DVD]
『死に花』 2004 DVDにて

手を握る泥棒の物語 [DVD]
『手を握る泥棒の物語』 2004 DVDにて

いぬのえいが プレミアム・エディション [DVD]
『いぬのえいが』 2004 DVDにて

メゾン・ド・ヒミコ [DVD]
『メゾン・ド・ヒミコ』 2005 DVDにて

この監督の作品は、こういう賛否両論起こりそうなギリギリの主題を取り上げることが多いです。
でも、とかくセンスだけに頼りがちな時代において、描きたい主題があるということは大事なことだと思うのです。
個人的には、すがすがしく観終われる作品でした。

『いぬのえいが』

いぬのえいが プレミアム・エディション [DVD]

映画好き仲間から薦められて、観たいな~と思っているうちに上映が終わってしまった
『いぬのえいが』、DVDでやっと観ました~。

さらさら~っと観られる一本です。
大笑い出来て、ちょっと考えさせられて、ボロボロ泣けて。。。

ショートストーリーをつないでいく形で、中身を説明しなくても、
「いぬのえいが」と聞いて人が連想し、期待するであろうものがバランスよーく入っているのが面白い。

それでいてエンターテイメントとしてのやりすぎ(ハリウッド映画的な感じ)がなくて緻密。
ちゃんと主題が疎かになっていない。
うん、確かによかったよ、友人くん。

監督もそれぞれのストーリーで違う方です。
(犬童一心、佐藤信介、黒田昌郎ほか計7名)
役者さんもいっぱいで、主に誰と言えない…。

でもちゃんと最終的に一本の作品になっていて、そのバランスが良い。
これだけ多くの人が関わっている映画でこんなにバランスがとれるのって、
実はものすごーーーく大変なことに違いないですよね~。

2006/07/16

見えない


つきぬけてないぞ!自分!

2006/07/15

発酵と腐敗

以前、ある勉強会で福島の大木代吉本店(日本酒の蔵元さん)の方にお話を聞いたときに、
発酵と腐敗の違いはなんだと思いますか?と聞かれました。
なんだと思いますか?

実は自然界において、発酵と腐敗は同じ現象なんですね。
どちらも菌がそこにある何かを分解し、新たな何かを生み出していくことですが、
一方は人間に役に立ち、一方は困らせる。
人間にとって良いか悪いかで、勝手に呼び分けているだけなんですよね。
(『風の谷のナウシカ』を思い出していただくとわかりやすい。)

そのように人間の狭い視野を捨てて菌を平等に観ることが出来れば、
色々と新たなことが見えてきます。

たとえば除菌という発想のエゴ。

四角い空間を思い浮かべます。
そこには空気しか入っていないように見えます。
空気だけ…しかし、実際にはその中には100の菌が存在しています。
人間には見えないだけです。
そしてその空間から、すべての菌を排除してみる。
(たとえば手についた「ばい」菌を洗剤で殺す。)
うん、綺麗になった、って人間は満足するんですね。
しかし、それは一瞬のことです。
なぜ?
四角い空間の前後左右にも上下にも、別の四角い空間が存在していて、
そこには当然別の100ずつの菌が住んでいるし、
自分たちのいるところが定員100に達していて、
隣が0になったと知ったら、当然空いている0の方になだれ込んで来るからです。
だから、除菌というのは普通に考えると不可能ということになります。

自然界では、科学のように強引な「排除」という考え方を用いません。
そこではお互いにうまく「住み分ける」ということが日常的に行われている。
死は完全に自然の法則に任されていて、
この例で言えば、四角い空間において定員100を越えれば、
自然に101番目の菌は死んでしまうように出来ているのです。
そうして、生と死はバランスによってのみ存在している。

うまく住み分けている菌たち。
それを人間が洗剤や何かによって自分勝手に「排除」しようとすると、
今まで隣の空間で大人しくしていたであろう、もっと人間にとって恐ろしい菌を逆に引き寄せてしまう結果にもなってしまう。
しかし、科学においては最初の発想が発想なので、
それに対抗する手段は「もっと強力な洗剤を使う」ことしかないのです。
あとはもう、ひたすら悪循環を繰り返す。

生きると言うことは塵芥にまみれていくこと。

たとえばうがい薬ではなく、塩でうがいしてみる。
自然の法則に従って生きることは、偽善的なことではなく、
将来の子孫のためでもなく、
自分に直結することなのだと思い知るようになったのは、
このことを学んだ頃からだったと思います。

2006/07/10

梅酒の梅はしわしわ?


今日は飲み会!笑いが止まらなかったり、すごーく語ったり。 そしてその途中で、

もともと、あんなことやこんなことを小出しにしていきたいと思ってブログを作ったんだけど。。。
と、言ったら、

全然「こだし」になってない、いつも「ちゅうだし」くらいだよねぇ。

と、突っ込まれました。(笑)
そうなのよね、私の目標、小出しです!

ブログも訓練だ。(^^;

というわけで、今日の飲み会で梅酒の話しが出ましたので、梅の写真を貼ってみました。
二週間ほど前の、ですが。

梅酒の梅がしわしわになってしまう理由は一概には言えないようですが、
糖分を入れすぎるとしわになりやすいようです。
糖類と果糖との浸透圧の関係で梅の実からエキスが抽出されて梅酒が出来るわけですから、
糖類を入れすぎると、まあ、梅のほうが負ける、という感じですかねぇ。。。

写真の梅はつるんとしていて、…やっぱりシワのないほうがおいしそう??

2006/07/07

七夕の願い


七夕ですね、今日。
(東北の人には今日じゃないですね…)
今年はこの一週間、駅やいろんなところで「短冊に願い事を書く」ことが出来る場面に遭遇。
最初は九段下の駅で、あんまり面白い願い事ばかり書いてある笹の枝を観て友達と笑い転げたり(失礼な)していましたが、
(いや、バカにしてはいません。「面白いギャグをたくさん思いつきますように」とか、微笑ましいなと。。。)
でも色んなところを通る度に段々ちょっとうらやましいような気になってきて、
私も一カ所だけ参加してきちゃいました。
場所は、もちろん秘密ですけどね~。
(場所によって、すごく真剣な願い事ばかりだったり、差があって面白い)



「願う」って、生きることの根本かなぁ。
昨日の続きで高田三郎先生(作曲家です)のことを思い出してみると、
「願い」、「焦がれ」、「祈る」ことにいつも深く深く身を捧げておられましたね。

私は幸運なことに何度も一緒に祈る機会がありましたが、
先生の祈りの姿は本当に美しかったです。
私達に「馬鹿野郎」と言う時と同じあの厳しさで、ご自分の内に向かっていく力。
柔らかいと同時に、いつも鋭く。。。


…はっ、回想に入っていました。

高田先生は祈るとき、手(指)を組み合わせておられましたが、
私の中から自然に出てくるのは、手のひらを合わせるほうです。
宗教的な意味とは限らないと思います。

ヨガの時に、胸の前で手を合わせることを
アンジェニムドラと言ったり、サマステティと言ったりするんですが、
自分の胸元に帰ってくる、というような意味も含んでいます。
もちろんここで神様に向かって手を合わせてもいい。
でもほかにも、「自分の内側の輝きに向かって」手を合わせるという意味があるんですね。
…誤解を恐れずに言えば、アジア的な意味の神様って、ほとんど「自分の中の輝き」と同義のような気もします。

また、ナマステとも言いますが、
仏教の「南無阿弥陀仏」の「南無」も「ナマス」から来ていて、
帰依、礼拝、敬礼、感謝などの意味を含みます。
「テ」は「あなたに」という意味。(イタリア語と同じだ~)
ナマステは挨拶であると同時に、
あなたを尊敬します、という意味でもあるんですね。
だから人にも使えるし、自然の恵みすべてにも使える。
こんなに崇高な言葉を挨拶の言葉として使っている言語って、
そういくつもないのではないでしょうか。

日本語では「有り難う」に、そういう意味がありますね。

手と手を合わせ、その手の温もりから、
自分の心に、感謝に、願いに、
そして世界のすべてにもつながっていくんだなぁと、
そんなことを考えます。

そして全ては、きっと自分の中にあるのかな。


私の願いは、6月13日に書きました。
さらさらと書いたけれど、後から読み返しても、
今はやっぱりこれがすべてです。


…あ、でも短冊にはもっと現実的なこと書いちゃった。(^^;

2006/07/06

委ねる


あらら、載せるのが遅くてちょっと時期はずれ気味??まぁまぁ。

2006/07/01

歴史認識



子供の頃、遺跡や古い物を前にして「昔の人ってすごいねぇ」と大人が子供に言うとき、
その後に必ず「(こんなに昔なのにね)」とか、「(~のなかった時代なのにね)」という
聞こえない言葉がついてくるように思えました。
つまりそこには、「今のほうが進んでいるに決まっている」という欺瞞を含んだ価値観があり、
それを前提とするよう無意識に教え込まれていた気がします。
(そういう場合が多かったと思います。)

先日まで
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた
ポンペイの輝き 古代ローマ都市最後の日』を観に行ったとき思いました。
「この時代の人たちの暮らしって、今とそんなに違わないんじゃないだろうか?」と。
それは驚きのようにも感じ、同時に当然のことのようにも感じました。

私はこうして21世紀に生きています。
けれど、それだけで本当に人類の歴史の蓄積の上に生きていると言えるのでしょうか。

私達は、ただ歴史の「端」に生きているに過ぎない。
歴史というものを「過去」として学んでいる限り、人類の、地球の遺産を手にすることは出来ない。
ただ、そうすることに気づいた人は、莫大なものを手にすることが可能で、
その時初めて、一人の人間が人類の長い歴史の蓄積の上に生きていると言い直すことができると思います。
その時に初めて、「未来」がやってくると言ってもいいかもしれない。

勉強というのは、いかにリアリティーをもって物事をみられるか、というのが勝負になってくると思う。
全くの客観的な態度は、逆に何かを見落とす。
真実を見誤る。
そうして、繰り返されてきた失敗をも、冷静に見極めなければならない。

まったく逆を考える人もいるでしょうが、
私は、今そういう「時代」に生きていると感じています。

「歴史」の上に、あぐらをかいていてはいけない。

常に敬意を。新たな認識を。

最近よく考えていること。