2006/12/09

『ダンテとその時代』

※ 長文です。

九段にある
イタリア文化会館へ。

(さっきと同じ書き出しですが、違う記事(^^))

地下1階アニエッリホールでは今日、
さきほど紹介したダンテの関連企画として
『ダンテ連続講演』の第3回、
『ダンテとその時代』という講義が行われました。
(講師:西本晃二氏)

面白かった!

ダンテの生きた中世からルネッサンスへ、という時代、
今日の講義はその時代背景と『神曲』の関係を解き明かす内容でした。

複雑な時代を複雑に語っているにも関わらずとてもわかりやすいお話。

唸ります。

西本先生のファンになったかも。(^^)

先日から、このブログや、アンサンブル友達との間の会話でも、
美の認識と、その前提としての知識について話題にしてきているのですが、
まさにダンテなどを理解するには、時代背景を知らずして何の意味があろうか、
というくらい歴史を学ぶことが大事になってきます。

たとえばダンテ自身が教皇派であったか皇帝派であったか、
ということが神曲の登場人物に大きく関わっていますし、

「え?その派って何?」「それは…」という風に、
結局は当時のイタリア、ヨーロッパ情勢をたどることになる。

また、ルネサンスへとつながる潮流がこの時代すでに生まれてきていることも指摘にありました。
(地獄編第26歌を例に挙げておられました。)

ダンテは(1265-1321)ととても早い時代の人ですが、
その彼自身の思想の中にもそのような兆候がみられることを具体的に確認でき、成果でした。

さて、そのルネサンス的なものの兆候(萌芽)とは何でしょう。
古典への回帰?
いえ、そうではありません。

ルネサンスの大事な要素として、「総合の時代である」ということが挙げられます。
知への純粋な回帰、ともとれるかもしれません。

ルネサンス時代の偉人達は、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるように、
万能たること、知の統合、根源への回帰などを目指した傾向が強かった。

この認識は、現代において非常に重要なことであると私は考えます。

なぜ?

講義の中でも指摘されましたが、現代は集積した知識が膨れあがって爆発してしまい、
一人一人の頭に持ちきれなくなってしまった時代と言われています。

その結果どうなったか?

「専門家の時代」になってしまい、それぞれの分野毎の専門家が
バラバラに知識を所有するようになりました。

しかし、これは問題ではないでしょうか?

私が学問を志す理由は、そもそも高校時代からのこの疑問のためでした。

もちろん私達は人類全体として知の集積を共有しており、
全体として今までの歴史を背負っていることは事実ですが、
私という人間は、一人で、様々な部分の集合でなければおかしい。
知識としてすべてを知ることはもちろん不可能でも、
私は心理学という一分野なのでしょうか?私はコンピュータ?私は言語学における音声分析?

そうではなくて、どの学問も、もとをたどれば一人の人間の中に必要なものの「部分」に過ぎないはず。
人間は一部分だけで成り立つはずがない。

ということは、私という人間が自分にとっての真実を探そうとするとき、人生を全うしようとするとき、
専門的になればなるほど重箱の隅をつつくような小さな研究をしている今の学問体系のあり方の中で、いくら勉強しても全う出来るはずがない。

そもそも学問というものは勉強すればするほどたった一つの自分の核に迫っていく(核心に迫る)ものであるのが正しいあり方である。

追求するほどに根源的なものと深く結びついていくのが正しい学問のあり方だ。

そう信じて、いや、あまりにそう確信しすぎて、私は大学院の道を棄てた、
という過去を持つのですが、(^^;

本当のところは、現代という時代は専門家の時代に留まってなどいません。
その次が来ようとしているのが現代であるとご存じの方も大勢いると思います。

「こんなバラバラな時代では具合が悪い」と考えた人がもちろん私のほかにもたくさんいて、
もう一度統合しようと色々試みているんですね。

それで、私は一応そういう動きのある大学に入ったつもりだったんですが、
実際それはうまく行ってはいなかった。

様々な試みの中で重要なのは、やはり過去からヒントをもらうことで、
つまり中世・ルネサンスからヒントをもらうことが大きく役に立ちます。

現代という時代が専門家の時代から再び総合の時代へと移るべくもがき苦しんでいる時代だとするなら、
同じ総合の時代であるルネサンス人たちが、何を核とし、何を動機とし、
どこに回帰し、どのように「統合」しようと試みたか、ということに大いなるヒントがあると思うのです。

このブログには過去にペトラルカも登場していますが、ダンテは多分、もっとわかりやすいヒントをくれます。
そして、ダンテ、ペトラルカ、そしてその後の時代のすべてのルネサンス人たちへと、
連鎖する鎖のような知の連なりを辿り、地道に知識と感覚を重ねていけば、
自分の中にもいろいろなことが見出せる。

と信じて、今日も私はポリフォニーを、そんな視線で愛しているのでした。。。
…と、無理やり音楽で結んでみたりして。(^^;

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