2006/10/14

『仏像』


PHOTO:ゴハンだよー


この写真とは何の関係もありませんが、秋の休日は一日一芸術と決めているので、
今朝は上野の
東京国立博物館『仏像』展を観に行って来ました。

一木から掘り出された仏像はどれも本当に美しくて、深かったです。

「職人とは名前よりも作品を残すものだ」

とは、台東区で有名なおろし金職人さんの言葉ですが、
本当に、作り手の名前すら残っていない名品の数々に心打たれてきました。
(もちろん名前の残っている作品も。)

仏像の彫り師さんのことを、芸術家と呼ぶか否か、とふと考えましたが、
やはり職人と呼ぶのがふさわしいと私は思います。
たとえどんなに独創的な仏像を彫っていても、です。
先日確か別の記事で、ピカソを職人呼ばわりしたテレビのキャストに私は腹を立てていたのでしたが、
職人には職人の素晴らしさがある。

例示なしではよく説明出来ないのですが、
職人とは、「あるべきそのものの姿を写し取る」
ということだと思うのです。
素材の声を聴き、何度も素材に立ち返り、素材の導く答えに忠実に、作品を作り上げていく。
それは即ち、職人はねじ曲げることをしない、ということでもあり、
自然を愛するということと同義のようにも思うのです。

このブログの一番最初の頃に、「工房アイザワのお玉」という記事を書きましたが、
あの無駄のないシンプルなお玉を愛する気持ちは今も私の中にしっかりとあり、
それはつまり、職人的な仕事への尊敬でもあります。

仏像は、そうした職人魂の、まさに結実したものだと言うことが出来るのでしょう。
なぜなら仏像の作り手にとって、仏像を彫ることそのものがまさに仏の御心を知ることにほかならないだろうからです。


…が、しかし、誰かに突っ込まれないうちに書いておきますが、
以前作曲家の鈴木輝昭先生との会話をめぐって、私は同じように、
「鈴木先生を支持した上で」「作曲家は素材の声を聴き、歴史を汲み取り、作曲すべきだ」ということを支持しました。
作曲家が芸術家であると認めた上で、そう書いたのです。
しかし今日の記事で私は、「職人とは即ちそういうものだ」と書いている。

うーん、どちらも撤回する気はありません。
芸術家を芸術家たらしめるもう一つの要素について、私はまだうまく論理的に説明出来ないんだな。
素材の声を聴くことの上に、さらにアイディア、またはアイデンティティのようなものが必要だ、
とまとめてしまうと、いかにも安っぽい議論になってしまう。

ただ、「職人」という仕事には、そういう「素材の声を聴く」という、
即ち人間としての根源的な作業がより多く、また深く必要とされていることは、やはり確かだと思う。


展覧会は12月3日まで開催。

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