2006/10/03

アマチュアの創造性

ある日テレビをつけたら、
ピカソについて語る番組が終わろうとしているところでした。

…が、内容を観ているか観ていないかは関係ない。
ある人が締めのコメントで言っていたことには、
「ピカソは相手の女性が変わるたびに作風も変化していったし、
普通プロというものはそういう私生活なんかで自分のスタイルは揺るがないものです。
ピカソはその意味でプロではなく、自分の人生そのものを作品に投影する、
実は偉大なアマチュアだったのかもしれませんね。」
というのです。

かなり自信たっぷりに「良いこと言ったなぁ~」というお顔で言い切っておられました。
んーーー、そうなの??

確かに作品はそうして変遷していっているし、そこに女性の影響はありありと感じられるけれど、
一作一作ちゃんと仕上がっているじゃないですか。
中途半端だとでもいうつもり??
そういうのってプロじゃなくてアマチュアなのでしょうか???
だったらプロって、一度プロになっちゃったらもう進化できないじゃないですか。
そうして変化していくことこそ偉大な才能だと、芸術の世界ですら認識されていない?
それともこの人が特殊な意見だったのか。

…何度かここに書いていますが、やっぱり芸術家は、
日々新たに決意し、表明するものだと私は思っています。
変化していくって大事なことだと思います。(退化は困るけれど。)
それが創造するという意味に直結していく。

そしてそれは、別に職業としての芸術家ではない私でさえも同じだと思っています。
こうして書いている文章もそうあるべきだし、書いていなくたって同じ。

変化しないって、怖い、ですよね???
40代になっても20代の顔のまま、とか。(^^;
そんなの美ではない。

変化していくことこそ美の真髄だと私はずっと以前から言い切ってしまっています。

この番組を観た後私はこのように、ピカソをアマチュアよばわりしたこの出演者に
ちょっと腹を立てたりしていたのですが、
さてさて、日曜日に合唱仲間の友人達と話していて一つ思い直したことがありました。

確かに「仕事」というのは、そういう面を持つものだ、ということ。
以前と同じ結果を出すことだったり、対価の分の仕事をすることを求められるのが当然といえば当然。
しかしそれは職人であって、芸術家ではない。
(職人は職人で素晴らしいものですが。)

すると芸術家になるには、あくまで仕事としてではなく、
生き方としてその道を選ぶしかないということかなぁ、と。

そうなると、確かにそれはアマチュアイズムと呼ぶべきものとイコールになるのかなぁ、
と思ったのです。

真の芸術家と偉大なアマチュアとはイコールである。
自分がもしプロだったらどう考えるべきかは別として、つまりこの際、
自分が偉大な創造性を秘めた「アマチュア」という存在であることを喜ぶべきだなぁ、
というのが日曜日の成果。

写真史においても、写真をただ「記録するもの」から、
「表現するもの」「楽しむもの」へと初めに変化させていったのは、アマチュアだったそうですし。

その理由はよくわかります。
アマチュアは、お金という理由付けがない分、「なぜ私は歌うのか」
「なぜ私は写真を撮るのか」「私にとって絵画とは何か」という問題を常に突きつけられている。
その意味では常に考える機会を与えられているからだと思います。

それだけに、反省すべき点も多々あり。
なぜなら、創造性を秘めながらも歴史を変えられない中途半端なアマチュアたちの欠点は、
その甘さにあると言えるから。
(いやもちろん才能とか、条件とか、色々ありますが、今自分にないものはとりあえず考えず。)
技術的な未熟さ、そして自己満足に終わりがちな見識の狭さ、または浅さ。
この両面からの努力と、真のアマチュアの精神が、芸術活動における最強、なのかなぁ。

などなど。
観劇、合唱、写真展、読書。
これら、今年の芸術の秋の経験からちょっと縒り合わせて書いてみました。

「ただのアマチュア」ではなくて「積極的なアマチュア」になるぞ、
というのが今日の私の表明、かな?

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