2006/07/07

七夕の願い


七夕ですね、今日。
(東北の人には今日じゃないですね…)
今年はこの一週間、駅やいろんなところで「短冊に願い事を書く」ことが出来る場面に遭遇。
最初は九段下の駅で、あんまり面白い願い事ばかり書いてある笹の枝を観て友達と笑い転げたり(失礼な)していましたが、
(いや、バカにしてはいません。「面白いギャグをたくさん思いつきますように」とか、微笑ましいなと。。。)
でも色んなところを通る度に段々ちょっとうらやましいような気になってきて、
私も一カ所だけ参加してきちゃいました。
場所は、もちろん秘密ですけどね~。
(場所によって、すごく真剣な願い事ばかりだったり、差があって面白い)



「願う」って、生きることの根本かなぁ。
昨日の続きで高田三郎先生(作曲家です)のことを思い出してみると、
「願い」、「焦がれ」、「祈る」ことにいつも深く深く身を捧げておられましたね。

私は幸運なことに何度も一緒に祈る機会がありましたが、
先生の祈りの姿は本当に美しかったです。
私達に「馬鹿野郎」と言う時と同じあの厳しさで、ご自分の内に向かっていく力。
柔らかいと同時に、いつも鋭く。。。


…はっ、回想に入っていました。

高田先生は祈るとき、手(指)を組み合わせておられましたが、
私の中から自然に出てくるのは、手のひらを合わせるほうです。
宗教的な意味とは限らないと思います。

ヨガの時に、胸の前で手を合わせることを
アンジェニムドラと言ったり、サマステティと言ったりするんですが、
自分の胸元に帰ってくる、というような意味も含んでいます。
もちろんここで神様に向かって手を合わせてもいい。
でもほかにも、「自分の内側の輝きに向かって」手を合わせるという意味があるんですね。
…誤解を恐れずに言えば、アジア的な意味の神様って、ほとんど「自分の中の輝き」と同義のような気もします。

また、ナマステとも言いますが、
仏教の「南無阿弥陀仏」の「南無」も「ナマス」から来ていて、
帰依、礼拝、敬礼、感謝などの意味を含みます。
「テ」は「あなたに」という意味。(イタリア語と同じだ~)
ナマステは挨拶であると同時に、
あなたを尊敬します、という意味でもあるんですね。
だから人にも使えるし、自然の恵みすべてにも使える。
こんなに崇高な言葉を挨拶の言葉として使っている言語って、
そういくつもないのではないでしょうか。

日本語では「有り難う」に、そういう意味がありますね。

手と手を合わせ、その手の温もりから、
自分の心に、感謝に、願いに、
そして世界のすべてにもつながっていくんだなぁと、
そんなことを考えます。

そして全ては、きっと自分の中にあるのかな。


私の願いは、6月13日に書きました。
さらさらと書いたけれど、後から読み返しても、
今はやっぱりこれがすべてです。


…あ、でも短冊にはもっと現実的なこと書いちゃった。(^^;

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