2006/07/01

歴史認識



子供の頃、遺跡や古い物を前にして「昔の人ってすごいねぇ」と大人が子供に言うとき、
その後に必ず「(こんなに昔なのにね)」とか、「(~のなかった時代なのにね)」という
聞こえない言葉がついてくるように思えました。
つまりそこには、「今のほうが進んでいるに決まっている」という欺瞞を含んだ価値観があり、
それを前提とするよう無意識に教え込まれていた気がします。
(そういう場合が多かったと思います。)

先日まで
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた
ポンペイの輝き 古代ローマ都市最後の日』を観に行ったとき思いました。
「この時代の人たちの暮らしって、今とそんなに違わないんじゃないだろうか?」と。
それは驚きのようにも感じ、同時に当然のことのようにも感じました。

私はこうして21世紀に生きています。
けれど、それだけで本当に人類の歴史の蓄積の上に生きていると言えるのでしょうか。

私達は、ただ歴史の「端」に生きているに過ぎない。
歴史というものを「過去」として学んでいる限り、人類の、地球の遺産を手にすることは出来ない。
ただ、そうすることに気づいた人は、莫大なものを手にすることが可能で、
その時初めて、一人の人間が人類の長い歴史の蓄積の上に生きていると言い直すことができると思います。
その時に初めて、「未来」がやってくると言ってもいいかもしれない。

勉強というのは、いかにリアリティーをもって物事をみられるか、というのが勝負になってくると思う。
全くの客観的な態度は、逆に何かを見落とす。
真実を見誤る。
そうして、繰り返されてきた失敗をも、冷静に見極めなければならない。

まったく逆を考える人もいるでしょうが、
私は、今そういう「時代」に生きていると感じています。

「歴史」の上に、あぐらをかいていてはいけない。

常に敬意を。新たな認識を。

最近よく考えていること。

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