2006/12/27

しましま


昨日の大雨はすごかったですね。
靴がまるで洗ったように濡れてしまいました。

一夜明けて今朝の空の写真。
この後どんどん晴れて雲一つないコートのいらない晴天になります。

景色は、そして物事は、「移り変わっていく瞬間が美しい」のだそうです。

2006/12/24

今道友信 美について

美について (講談社現代新書 324)

美について (講談社現代新書 324) 今道友信著  


この世界では、光にたとえられる真理は太陽のように美しいものとして、人間の生活上の理念となる。光はそれ自体美しいと同時に、物の形が明確に見えてくるための条件である。したがって、見させる条件を構成するものとしての形が整っていること、それが美しいということになる。

                       本文:視覚的形式を追求したギリシア人 より

このブログは、新たな理念を打ち出すことだけでなく、過去の研究者がすでに研究し尽くして学問上常識となっている事項についても、それを私が「今日」実感として手に入れたのであれば、今日ここに書いていくことを恥じない、という試みです。

学問というのは概念を定義づけます。
それは知識ということです。
客観的な、人類の機知のもの「知識」と、私が自ら構成する意味での「知識」と、私自身の深奥での「実感」という、これらの関係を常に把握し、それらが同時に存在するよう構築していくことが大事だと私は考えます。

そして、今日は、美の構成要素としての光について。
昨日の写真も光でした。。。

2006/12/23


光とは、美とは、…

2006/12/22

秋を愛でつつ、冬を想う


1週間以内に撮った写真なので、今載せて嘘ではないと思うのですが、もう12月22日ですものね。。。
こういう色彩をすべて秋と括るのも短絡的といえばそうなのですが。

一方で銀杏や桜はすっかり枯れ木です。
何週か前まで小鳥がたくさん来て実をついばんでいた柿の木も、
最後の実が熟れきると同時にあっという間に食べ尽くされて、鳥の来ない樹になってしまいました。。。

冬の情緒ってなんだろう。(雪以外で)
知識じゃなく、探して、見つけたいです。今、自分の周りに。

枯れ葉のつもった土の上を歩くと、暖かさを感じます。
生分解して一体になっていく幸せな道を踏みしめた後に、
一体になることのない道を歩くと、少し心が痛い。

明日は少し、紅葉のことは振り切って考えようかな。。。

2006/12/21

白飛びよさようなら


Pentax *ist DS ISO 200. 1/1000. f/4.0. 63mm


今日も写真(RAW)について。
つい先日までJPGで撮っていた時の悩みは、白飛びでした。
デジタルカメラってフィルムに比べて階調の幅が狭いというか、
ちょっと明るさにコントラストがあるとすぐ黒つぶれや白飛びを起こしてしまいます。
最大限明るさを取り込みたいけれど、プラス補正でいざ撮ってみると真っ白~、というので、
限界があるなぁ、と感じていたわけです。

師匠(と崇めている友人)からは、フィルターを使ったら?と教えて頂いたので、
これからそちらもゆっくり試してみますね。

さて、もう一つの対応としてRAW現像という手があるんだ、ということに今日気付いた私。
(本読めばいいのにね。(^^;)
RAWなら、白飛びしないようにとりあえず暗めにでも撮影しておけば、
つまり潜在的にデータが存在する状態にさえしておけば、それを後で起こすことが出来る。
パソコンの画面上で、真っ白にはならないギリギリまで明るく、
自分の目で確認しながら限界まで補正していける。
なるほど~。

なんだかここ数日で、デジタルの可能性が私の中で突然大きく広がりました。

ちなみに写真に詳しい方へ
このブログを読んでいて、「それ違うよ~」という点があったら、
ぜひ教えてくださいな。(笑)

2006/12/20

RAW処理 2


手前の植物はほぼ見た目通り。空はこんなに鮮やかではありませんでした。
植物と、日の光の色を優先させたらこんな感じに。。。
んー、どちらかの現実を優先させたらどちらかは現実離れ…って、なんとも不思議ですねぇ。

でも、このカメラにとってはそれが現実だったんだなぁ。。。

ISO 200. 1/2500. f/3.5. 23 mm

2006/12/19

RAW処理


今日は何も書けず、写真のみ。
何の変哲もないただの下手な写真のように見えますが、
実はこのブログ初のRAWデータから起こした写真です。
今までRAWで撮ったことがないわけではありませんが、基本的にいつもジェイペグを使っていたので、撮影後の処理はコンパクトデジカメと何ら変わらなかったのです。

「RAWって何?」
「現像する前の生のデータのことだよ」
「デジタルだけど、現像?」
「そう、生のデータだから、基本的に現像しないと目で見られる形にならないの。」

…と、言われても、「ふーん」と聞き逃していた理由の一つは、
デジタルの現像って、=画像処理のことなので、なんとなく、作り物っぽい感じがしていたからです。
でも、ホワイトバランスを細かくいじったり、露光量も、その場の判断ではなく後でじっくり考えられるなんて、私向きなのかもしれないな~、と、ふと数日前に思い直してやってみたのでした。
(遅い!(^_^;)

やってみると色温度を細かくいじることが出来るし、一眼入門機である私のカメラよりも思い通りのホワイトバランスが再現出来る。
「加工」ではなく、あくまでも撮影時に行うべき設定や補正を後でやるだけの操作で留めておくなら、なるほどこれは立派に「現像」なんだな、と、初歩の理解にやっと達した私。
きっとフィルムをやってきた人なら、この辺りのことはすぐ理解出来るのでしょうね。

今日のはまだ、「とりあえずやってみました」という感じで、やりすぎかな~。。。

ISO 200. 1/250. f/4.5. 70mm です。

よし、これからは「現像」を覚えて、冬のカメラ道行き詰まり解消だ~。

2006/12/13

アロマレシピ リップクリーム


アロマで暮らす。シリーズ(?)開始4ヶ月にしてまだ3つ目のレシピ。(^^;
何か作っても写真を撮らずについつい過ぎていってしまうもので。。。

まずい!気付けば唇がかさかさだ。
というわけで、久々にリップクリームを作ってみました。


〈材料〉
ミツロウ 4g
植物油 16ml (ホホバオイル)
精油  3滴 (サンダルウッド2 : ラベンダー1)
遮光性容器

〈作り方〉
1.ミツロウ、植物油を小鍋に入れて湯煎の状態で加熱し、混ぜる。
2.ミツロウが完全に溶けたら火から下ろして少し冷ます。
3.精油を加え、混ぜる。
4.遮光性のある容器に入れる。
5.冷えて固まったらできあがり。

〈注意点〉
1.保存期間は半年程度。…ですが、私はもっと大丈夫だと思います。
  自己責任で、香りなどで判断しましょう。
2.最初に材料を量ってみると出来上がる量が想像出来ると思います。
  これは多いなぁ~と思ったら、同じ割合で全体量を減らしましょう。
  でも、面倒なので作り貯めしたほうが長続きすると思いますが。


今回はあり合わせの材料だったので上記の組み合わせになりました。
(サンダルウッドは保湿効果が高く、ラベンダーは殺菌や、炎症に効きます。)
私が学校で習ったのは下記の配合でした。

ミツロウ 20g
アーモンドオイル 50ml
ウィートジャムオイル 15ml
精油:レモン 2滴
精油:ミルラ 1滴

んー確かに効きそうなレシピ。
ただ、レモンはビタミンCを含むので、色素沈着の恐れがあります。
この時期は心配ないと思いますが、夏に向けては、
外出前にこの配合のリップクリームを使用するのはなんとなく気になるかも。。。
また、ウィートジャムオイルはホホバにくらべて劣化が早いので1~3ヶ月の保存期間と考えます。

〈写真の説明〉
今回使った物を全部撮りました。
(…かき回す棒が写ってないけど。)

右の銀色の台が量り
その上に乗っている小皿の中の黄色い物がミツロウ
中央後ろのブルーの瓶が植物油
中央真ん中が植物油を量るためのビーカー
中央手前の白い容器が完成品です。(中身みせればよかった(^^;)
左手前は精油
左後ろはミツロウを溶かすためのウォーマー。
よくあるアロマポットと同じように、ウォーマーの手前に写っているティーキャンドルを中に入れて下から熱し、
上の取っ手のついた容器を鍋のように使います。

…が、このウォーマーがなくても台所で小鍋を用意すれば出来ますし、
ビーカーがなくても料理用の小さじや大さじ、などなど、量れれば何でも良いわけです。
と、いうわけで本当に必要な材料は上記の〈材料〉のところに書いてあるものだけです。

以前の混ぜるだけレシピから比べると少々面倒ですが、
自分の好きな香りのリップクリーム、楽しいですよ~。
また、どうしても好きな香りの精油が見つからない!という方には、
精油抜きでも完成品として成り立ちます。
上記の植物油に保湿・抗炎症などの作用が含まれているからです。

また、鉱物油でも精油は溶けますが、浸透性が悪く皮膚の毛穴に詰まりやすいそうです。
更に、植物油でも食用のものは加熱処理や添加物が加えられていたりと、
スキンケアに向く保証がありません。
アロマ屋さんでキャリアオイルとして売られているものの方が安心です。
精油や植物油に関する注意事項は以前の記事にも書いているのでもしよかったらご覧下さい。
(そのうち注意事項だけまとめます。)

※ 実践の際は自己責任でお願いしますね~。

ヨガ:動と静


PHOTO: 高幡不動尊にて その2


今年の締めに入る時期ですね~。
まずい、ほとんど何もしていない。(>_<)

でもヨガは相変わらず続けております。

久々に身体を動かしたりすると、身体が伸びている~とか、痛い~とか、
そういう身体のあちこちの部分に気付いて、

それはそれで面白いのですが、続けているということはやはり偉大で、

伸びたり筋肉を使ったりするのが当たり前になってそのことに気を取られなくなると、
ヨガのクラス中どんなに身体を動かしても、伸ばしても縮めてもひねっても、
何をしていてもずーっと自分の内側だけに集中し続けられるようになっていることに気付きます。
じっとしているわけではなく、動き続けているにもかかわらず常に瞑想状態、のような(?)

じっとしていても身体の中のエネルギーが活発に流れるようにしていき、
また、激しく動いていても心を平静に保つようにしていく。

動の中には静を見、静の中には動を見る。

んー、一瞬と永遠の関係って、多分こういうものなんだろうなぁ、とおぼろげに理解したり。
これは音楽をやっていても感じますよね。
動と静が同時に存在するということ。
それは美につながる大事な要素。

…ん?待てよ。こういうのは日本人的発想なのかな?
今、自分で書きながら竜安寺の石庭を連想していました。

でも西洋音楽からもやっぱり感じるんですよねぇ。
洋の東西ではなく、物事の本質、と見るのがいいのかな。。。

2006/12/12

高幡不動尊にて


こちらは高幡不動尊。週末にふらっと行ってみたのです。
日も傾きかけて、寒くて、人もあまりいなくて寂しかったですけどなぜか突然行きたくて~。
この後すぐに空は夕焼けになるのですが、やっぱりもう冬。
鮮やかな色にはなりません。

柔らかい光。柔らかい青空。柔らかい雲。薄さ。軽さ。大気。そして風。
すべての柔らかいもの、やさしいものを、鋭くする風。

そしてやっぱり、寂しさ。。。

私の眼も、感覚も、写真も、それを受けて迷う。
こんなところまで行ったって、建物なんて見ていない。
やる気のなさは写真を撮ればすぐバレてしまいます。

んー、暖かさはどこだろう。
冷たい風の中に見えないかな。
または輪郭。際立つモノの形。
強さ。

見ようとしなければ。ただ迷うのではなく。
それが見えたら、葉が落ちても、撮り続けられるかもしれないのに。
今が瀬戸際。

美しい写真なんて撮れなくても良いのかもしれない。
ただ、見えるようになりたい。
そのために撮りたい。

目の前に今見えているのがまさに真実だと知りつつも、
自分の意識の繊細さの方をつい疑いたくなってしまう。。。

2006/12/10

まだまだ


先週、「今日辺りは枯れ木だらけだろう」と予想したのですが、
なんだまだまだこれから紅葉するような木すらあって、
本当に今年は暖かかったのですねぇ。
葉っぱをカサカサ踏みながら歩くのが楽しい今日この頃です。

2006/12/09

『ダンテとその時代』

※ 長文です。

九段にある
イタリア文化会館へ。

(さっきと同じ書き出しですが、違う記事(^^))

地下1階アニエッリホールでは今日、
さきほど紹介したダンテの関連企画として
『ダンテ連続講演』の第3回、
『ダンテとその時代』という講義が行われました。
(講師:西本晃二氏)

面白かった!

ダンテの生きた中世からルネッサンスへ、という時代、
今日の講義はその時代背景と『神曲』の関係を解き明かす内容でした。

複雑な時代を複雑に語っているにも関わらずとてもわかりやすいお話。

唸ります。

西本先生のファンになったかも。(^^)

先日から、このブログや、アンサンブル友達との間の会話でも、
美の認識と、その前提としての知識について話題にしてきているのですが、
まさにダンテなどを理解するには、時代背景を知らずして何の意味があろうか、
というくらい歴史を学ぶことが大事になってきます。

たとえばダンテ自身が教皇派であったか皇帝派であったか、
ということが神曲の登場人物に大きく関わっていますし、

「え?その派って何?」「それは…」という風に、
結局は当時のイタリア、ヨーロッパ情勢をたどることになる。

また、ルネサンスへとつながる潮流がこの時代すでに生まれてきていることも指摘にありました。
(地獄編第26歌を例に挙げておられました。)

ダンテは(1265-1321)ととても早い時代の人ですが、
その彼自身の思想の中にもそのような兆候がみられることを具体的に確認でき、成果でした。

さて、そのルネサンス的なものの兆候(萌芽)とは何でしょう。
古典への回帰?
いえ、そうではありません。

ルネサンスの大事な要素として、「総合の時代である」ということが挙げられます。
知への純粋な回帰、ともとれるかもしれません。

ルネサンス時代の偉人達は、レオナルド・ダ・ヴィンチに代表されるように、
万能たること、知の統合、根源への回帰などを目指した傾向が強かった。

この認識は、現代において非常に重要なことであると私は考えます。

なぜ?

講義の中でも指摘されましたが、現代は集積した知識が膨れあがって爆発してしまい、
一人一人の頭に持ちきれなくなってしまった時代と言われています。

その結果どうなったか?

「専門家の時代」になってしまい、それぞれの分野毎の専門家が
バラバラに知識を所有するようになりました。

しかし、これは問題ではないでしょうか?

私が学問を志す理由は、そもそも高校時代からのこの疑問のためでした。

もちろん私達は人類全体として知の集積を共有しており、
全体として今までの歴史を背負っていることは事実ですが、
私という人間は、一人で、様々な部分の集合でなければおかしい。
知識としてすべてを知ることはもちろん不可能でも、
私は心理学という一分野なのでしょうか?私はコンピュータ?私は言語学における音声分析?

そうではなくて、どの学問も、もとをたどれば一人の人間の中に必要なものの「部分」に過ぎないはず。
人間は一部分だけで成り立つはずがない。

ということは、私という人間が自分にとっての真実を探そうとするとき、人生を全うしようとするとき、
専門的になればなるほど重箱の隅をつつくような小さな研究をしている今の学問体系のあり方の中で、いくら勉強しても全う出来るはずがない。

そもそも学問というものは勉強すればするほどたった一つの自分の核に迫っていく(核心に迫る)ものであるのが正しいあり方である。

追求するほどに根源的なものと深く結びついていくのが正しい学問のあり方だ。

そう信じて、いや、あまりにそう確信しすぎて、私は大学院の道を棄てた、
という過去を持つのですが、(^^;

本当のところは、現代という時代は専門家の時代に留まってなどいません。
その次が来ようとしているのが現代であるとご存じの方も大勢いると思います。

「こんなバラバラな時代では具合が悪い」と考えた人がもちろん私のほかにもたくさんいて、
もう一度統合しようと色々試みているんですね。

それで、私は一応そういう動きのある大学に入ったつもりだったんですが、
実際それはうまく行ってはいなかった。

様々な試みの中で重要なのは、やはり過去からヒントをもらうことで、
つまり中世・ルネサンスからヒントをもらうことが大きく役に立ちます。

現代という時代が専門家の時代から再び総合の時代へと移るべくもがき苦しんでいる時代だとするなら、
同じ総合の時代であるルネサンス人たちが、何を核とし、何を動機とし、
どこに回帰し、どのように「統合」しようと試みたか、ということに大いなるヒントがあると思うのです。

このブログには過去にペトラルカも登場していますが、ダンテは多分、もっとわかりやすいヒントをくれます。
そして、ダンテ、ペトラルカ、そしてその後の時代のすべてのルネサンス人たちへと、
連鎖する鎖のような知の連なりを辿り、地道に知識と感覚を重ねていけば、
自分の中にもいろいろなことが見出せる。

と信じて、今日も私はポリフォニーを、そんな視線で愛しているのでした。。。
…と、無理やり音楽で結んでみたりして。(^^;

チェッコ・ボナノッテの描くダンテ『神曲』展

九段にあるイタリア文化会館へ。

1階ホールでは、「
チェッコ・ボナノッテの描くダンテ『神曲』展」 を開催中でした。

神曲の1歌につき1枚の絵が描かれており、その絵の美しさ、透明さを楽しむも良し、
また、1歌毎に日本語による要約がちゃんとついているので、
「『神曲』を自分で読むのは大変だけれど、内容は知りたいな~。」という方には、
一気にダンテの神曲がどんなお話か知るチャンスです。

私は、これが挿絵の神曲、手元にあったらいいなぁ。と思いましたよ。

13日まで開催中)

2006/12/06

寒さの中


今年は私のカメラ2年目です。
去年みたいに冬眠しないで、今年は冬の光の美しさを見極めてみようかなぁ。

…だけど、寒い。

やっぱり寒いよー。

2006/12/05

友よ


日曜日は楽しいこと、嬉しいこと、勉強になること、笑ってしまうこと、たくさんあった。
でも一番密度の濃さを感じた時間は、友人から癌だと告白された午後の1時間だったと思う。

心だけが勇気を与えられるのだと信じて、しなやかに、まっすぐに、深く…
友を道化にしてしまわないように。
聞くこと、受け入れること、ここにいることだけが私の役目。


ただ、別れ際にふと、生きようが死のうがこれは永久の別れなのだと気付いて、
その心構えが不覚にも崩れてしまった。
遠い遠い家族のもとへ、病気で、ここを去ろうとしている友に。

何もかもが、不確か。


別れの歌を歌ってくれと言われた時、なんでもっとまじめに歌わなかったんだろう。
病気のことなんて知らなかったから?

死ぬかもしれないから同情するのか。
もう会えないから惜しむのか。

捧げる力が足りない!
今この瞬間を、もっと深く。

別れの場面とその笑顔を、一生抱えて私は暮らしていくのだろうか。



後悔なんかしない。
ただ未来への決意だけは、今私に必要だ。

2006/12/03

ゆらゆら


ところ変わって東京。
ゆらゆらと葉の間に揺れる柔らかな陽ざし。

写真を続けていて、技術はさっぱり向上していないのですが、(^^;
色々なモノの見方は着実に身に付いて来ているように思います。

たとえば光です。
日常のちょっとした光の美しさを以前より捉えられるようになりました。

…それを結果に残せたら、もっといいんですけどね~。
べたっと潰さずに、光の奥行きを写しこみたい。

2006/12/02

熊本市


熊本市の市電。
雲っていることが多かったためか、なんとなく今回の熊本、写真を撮る気があまりおきず。
でもとても街の印象はよかったです。
あちこちでやさしくしていただいたし。

熊本市の人口は669,604人だそうですが、なんだか100万都市並に栄えている感じがしました。

築城400年を迎えようとしている熊本城。
なんだかあの街中にそびえ立つお城のせいか、ちゃんと「顔のある都市」という感じがしました。

後で聞いたところによると、ファッション業界で東京大阪の次の3店舗目をどこに展開するか、
という候補に必ず挙がってくるのが熊本だそうです。
東京の流行に流されずに自分たちで良いものを判断する確かさ(ガンコさ)も持っていて、
ここで成功すれば全国で展開できると言われているのだとか。

紅葉も良いけれど5月くらいにまた行きたいな、と思う熊本でした。

2006/11/28

大阿蘇


熊本へ行って来ました。
阿蘇山は曇りでしたが、私の中のイメージは三好達治の詩「大阿蘇」だったので、
青空は見えなくても草原に佇む牛たちをみるのはとても感慨深いものがありました。

2006/11/24

眠い。。。


こんばんは。
…って、ただ今3:30~。
眠い。眠らなければ。夜が明けたら遠出です。。。

2006/11/05

月下美人


「今年最後の月下美人、今夜咲きます。」
という立て札の横に、手のひらほどある大輪の花。

育てもせず、ただ一夜、気まぐれな帰宅途中に。
写真が時を止めることの意味をこの花が伝えてくる。

こんなに美しくはなかったと思う。
ただ嬉しさだけだった。
時が止まった時から、この花の美しさは私に意味を持ってきたのだ。

明日も明後日も、カメラを持ってでかけようと思う。

2006/11/04

辻正行先生

11月1日は、合唱指揮者辻正行先生の命日でした。
お墓参りに行きたいな、とずっと思っていました。
叶わなかったな。

その日、過去の色々な書類をシュレッダーにかけるなりして処分しようとしていたら、
途中で偶然辻先生の顔に出会いました。
「愛にあふれた音楽」演奏会のチラシ。

告白します。
実は気付かずに3分の1ほどシュレッダーにかけた(!)
でも肝心の写真に差しかかる前に気付いてストップ。
11月1日に先生の顔を危うくシュレッダーにかけるところだった。(××)
危ない、危ない。

先生が亡くなった時に色々なことを胸に刻みました。
大事な人たちに突然、「大事にするからね」と宣言してみたりもしたっけ。(笑)

私は先生の常設合唱団に所属していたわけでもないのに、
先生から教わった重要なことがとても多いことに今でも時々驚きます。
音楽に対する姿勢、人の想い方、自分の役割。。。

たちまち多くの反省に囲まれてしまう。

でも3年経って、先生のまいた種は、ちゃんと私の中で育ってきているとも感じるようになりました。
去年や一昨年には感じていなかったこと。
まだまだ、やるべきことが山積みだけれど、こうして亡くなった人が少しずつ、
私の遺産になり、私自身になっていく。

命日っていうのはきっと、こうして、自分が成長するためにあるんだな。
来年も楽しみだ。

2006/10/29

気がつけば。。。


友人に「イチョウはまだ全然色づいていない」と書き送った翌日の今日、
公園を歩いたら桜が少しずつ色づいて(?)来ていた。
今週は余裕がなくて夜しか樹を観ていなかったから気付かなかったんだなぁ。
この樹なんて、いつの間にか葉が落ちてる…。

足下をみると栗のイガや落ち葉の布団もちゃんとある。
でも全部が今年のものではないだろう。
樹のたくさんあるところでは、落ち葉は降り積もって、
長い時間をかけて土にかえっていくから、その途中。

あいかわらず鈴を転がしたように虫が鳴き、そして、鳥も。。。

頭が黒く、顔が白く、お腹に美しい柿色の羽を持った鳥をみたけれど…
今まで雀とカラスぐらいしか飛んでいないようなところしかうろうろしてこなかったので、
急にはわからない。
今度勉強しておこう。

2006/10/27

暖かさと寒さ


確か代官山の近く。裏通り。
はい、リアルタイムじゃなくなってます。
ブログなのに。。。(泣)
でも写真は仕方ないですよね。夕方時間が空いた頃にはもう日が沈んでいるんですもの。
たしか昨日の日の入りは16:53だったかな。。。
はやーい。

2006/10/26

雑草といえど…


されど…と、思う帰り道。。。

2006/10/25

気を許される


前回の猫写真よりちょっと仲良しな写真が撮れました。
すりすりっと寄ってきてくれました。
次回は被写体ブレしないようにガンバロー。

2006/10/20

ビル・ヴィオラ:はつゆめ

ビル・ヴィオラ:はつゆめ という展覧会に行って来ました。
(森美術館にて、2006.10.14-2007.1.8開催)

私は全く知らないアーティストさんでしたが、森美術館キュレーターさん達を、

毎回の手腕の凄さを信じて行ってみました。
とってもよかったです!

映像や音響の技術というのは、こういう風に活かしてこそ本当なんだよ!

と、見せつけられているようでした。
緻密であり、芸術的であり。。。

お勧めです。

2006/10/16

朝焼け


あぁこうして、いつも睨まれてしまうのですよね。。。
一時仲良くしようとしたってそうは行きませんね。。。

2006/10/14

『仏像』


PHOTO:ゴハンだよー


この写真とは何の関係もありませんが、秋の休日は一日一芸術と決めているので、
今朝は上野の
東京国立博物館『仏像』展を観に行って来ました。

一木から掘り出された仏像はどれも本当に美しくて、深かったです。

「職人とは名前よりも作品を残すものだ」

とは、台東区で有名なおろし金職人さんの言葉ですが、
本当に、作り手の名前すら残っていない名品の数々に心打たれてきました。
(もちろん名前の残っている作品も。)

仏像の彫り師さんのことを、芸術家と呼ぶか否か、とふと考えましたが、
やはり職人と呼ぶのがふさわしいと私は思います。
たとえどんなに独創的な仏像を彫っていても、です。
先日確か別の記事で、ピカソを職人呼ばわりしたテレビのキャストに私は腹を立てていたのでしたが、
職人には職人の素晴らしさがある。

例示なしではよく説明出来ないのですが、
職人とは、「あるべきそのものの姿を写し取る」
ということだと思うのです。
素材の声を聴き、何度も素材に立ち返り、素材の導く答えに忠実に、作品を作り上げていく。
それは即ち、職人はねじ曲げることをしない、ということでもあり、
自然を愛するということと同義のようにも思うのです。

このブログの一番最初の頃に、「工房アイザワのお玉」という記事を書きましたが、
あの無駄のないシンプルなお玉を愛する気持ちは今も私の中にしっかりとあり、
それはつまり、職人的な仕事への尊敬でもあります。

仏像は、そうした職人魂の、まさに結実したものだと言うことが出来るのでしょう。
なぜなら仏像の作り手にとって、仏像を彫ることそのものがまさに仏の御心を知ることにほかならないだろうからです。


…が、しかし、誰かに突っ込まれないうちに書いておきますが、
以前作曲家の鈴木輝昭先生との会話をめぐって、私は同じように、
「鈴木先生を支持した上で」「作曲家は素材の声を聴き、歴史を汲み取り、作曲すべきだ」ということを支持しました。
作曲家が芸術家であると認めた上で、そう書いたのです。
しかし今日の記事で私は、「職人とは即ちそういうものだ」と書いている。

うーん、どちらも撤回する気はありません。
芸術家を芸術家たらしめるもう一つの要素について、私はまだうまく論理的に説明出来ないんだな。
素材の声を聴くことの上に、さらにアイディア、またはアイデンティティのようなものが必要だ、
とまとめてしまうと、いかにも安っぽい議論になってしまう。

ただ、「職人」という仕事には、そういう「素材の声を聴く」という、
即ち人間としての根源的な作業がより多く、また深く必要とされていることは、やはり確かだと思う。


展覧会は12月3日まで開催。

2006/10/13

野菜を撮る


写真久々ですね。
どうも引っ越してから、モノとの関わり方が変わってきています。
パソコンやカメラといった、機械に触れる時間、減ったかも。

ともあれ、野菜を美しく撮れるようになったらいいなぁ、って前から憧れてます。
もっと撮る機会をつくってみよ~う。

2006/10/05

笛の音に癒される

「夕陽の写真とか、朝陽とか、一体いつもどこにいるの?」

というような質問を友人より頂きました。
…朝陽の写真なんて撮ったっけ?と、思っていて、
さっきブログを開いたら、そうだ、書きましたね、私。

「朝陽の中近所の公園で篠笛を練習する男性
立ち上るような一面の筋雲、…」

を、観たという話。

これはこの文の通りなんですよ。
休みの日に美しい朝陽をわざわざ観に行った、という特別な話ではなくて、
引っ越し先の近所の公園で平日の早朝篠笛を練習している方がいまして、
私が朝ヨガなんかのために朝陽の輝く早めの時間に家を出ると、
この笛の音がきこえてくる。
(いつもじゃないけれど、今までに数回遭遇しました。)
殺伐とした通勤風景の中に癒しなのです~。
電車が混んでいてもイライラしな~い。(^^)

もちろん世の中、働く人がいれば休む人がいるのですものね。
平日の朝の空いている公園で、集中出来るんだろうなぁ。

私もそのうちスタジオに行かないで公園で朝ヨガを密かに計画中!

歌は、…ちょっと勇気がいりますね。
楽器ってずるいなぁ。

いや、楽器だって、上手に吹いてくれているから癒しなのだし、条件は一緒かな??

自然に癒されるのは当たり前だけれど、
他人に癒される、というところが、都市生活の正しい味わい方のような気がして、
ちょっと嬉しい今日この頃です。
これを「うるさい」と思うことのない、自分のマインドも大切に。

2006/10/03

アマチュアの創造性

ある日テレビをつけたら、
ピカソについて語る番組が終わろうとしているところでした。

…が、内容を観ているか観ていないかは関係ない。
ある人が締めのコメントで言っていたことには、
「ピカソは相手の女性が変わるたびに作風も変化していったし、
普通プロというものはそういう私生活なんかで自分のスタイルは揺るがないものです。
ピカソはその意味でプロではなく、自分の人生そのものを作品に投影する、
実は偉大なアマチュアだったのかもしれませんね。」
というのです。

かなり自信たっぷりに「良いこと言ったなぁ~」というお顔で言い切っておられました。
んーーー、そうなの??

確かに作品はそうして変遷していっているし、そこに女性の影響はありありと感じられるけれど、
一作一作ちゃんと仕上がっているじゃないですか。
中途半端だとでもいうつもり??
そういうのってプロじゃなくてアマチュアなのでしょうか???
だったらプロって、一度プロになっちゃったらもう進化できないじゃないですか。
そうして変化していくことこそ偉大な才能だと、芸術の世界ですら認識されていない?
それともこの人が特殊な意見だったのか。

…何度かここに書いていますが、やっぱり芸術家は、
日々新たに決意し、表明するものだと私は思っています。
変化していくって大事なことだと思います。(退化は困るけれど。)
それが創造するという意味に直結していく。

そしてそれは、別に職業としての芸術家ではない私でさえも同じだと思っています。
こうして書いている文章もそうあるべきだし、書いていなくたって同じ。

変化しないって、怖い、ですよね???
40代になっても20代の顔のまま、とか。(^^;
そんなの美ではない。

変化していくことこそ美の真髄だと私はずっと以前から言い切ってしまっています。

この番組を観た後私はこのように、ピカソをアマチュアよばわりしたこの出演者に
ちょっと腹を立てたりしていたのですが、
さてさて、日曜日に合唱仲間の友人達と話していて一つ思い直したことがありました。

確かに「仕事」というのは、そういう面を持つものだ、ということ。
以前と同じ結果を出すことだったり、対価の分の仕事をすることを求められるのが当然といえば当然。
しかしそれは職人であって、芸術家ではない。
(職人は職人で素晴らしいものですが。)

すると芸術家になるには、あくまで仕事としてではなく、
生き方としてその道を選ぶしかないということかなぁ、と。

そうなると、確かにそれはアマチュアイズムと呼ぶべきものとイコールになるのかなぁ、
と思ったのです。

真の芸術家と偉大なアマチュアとはイコールである。
自分がもしプロだったらどう考えるべきかは別として、つまりこの際、
自分が偉大な創造性を秘めた「アマチュア」という存在であることを喜ぶべきだなぁ、
というのが日曜日の成果。

写真史においても、写真をただ「記録するもの」から、
「表現するもの」「楽しむもの」へと初めに変化させていったのは、アマチュアだったそうですし。

その理由はよくわかります。
アマチュアは、お金という理由付けがない分、「なぜ私は歌うのか」
「なぜ私は写真を撮るのか」「私にとって絵画とは何か」という問題を常に突きつけられている。
その意味では常に考える機会を与えられているからだと思います。

それだけに、反省すべき点も多々あり。
なぜなら、創造性を秘めながらも歴史を変えられない中途半端なアマチュアたちの欠点は、
その甘さにあると言えるから。
(いやもちろん才能とか、条件とか、色々ありますが、今自分にないものはとりあえず考えず。)
技術的な未熟さ、そして自己満足に終わりがちな見識の狭さ、または浅さ。
この両面からの努力と、真のアマチュアの精神が、芸術活動における最強、なのかなぁ。

などなど。
観劇、合唱、写真展、読書。
これら、今年の芸術の秋の経験からちょっと縒り合わせて書いてみました。

「ただのアマチュア」ではなくて「積極的なアマチュア」になるぞ、
というのが今日の私の表明、かな?

2006/09/21

『太陽』 Solnze

太陽 [DVD]

月曜日、吉祥寺バウスシアター(有名ミニシアター)まで出掛け、『太陽』 という映画を観ました。

ご存じでしょうか?
昭和天皇を題材に、終戦直前から人間宣言までのとても短い期間を描いています。


太陽 (原題:Solnze)
ロシア・イタリア・フランス・スイス合作
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
昭和天皇:イッセー尾形


ロシア人監督ですが、普通に日本人の俳優で、日本語で作られています。
アート系映画でミニシアター上映、あまり多くの人の目にふれることはないかと思いきや、
公式ページをみると、これから順に主要都市は大体回っていくようです。

これ、…確かに楽しい映画ではないかもしれないけれど、
個人的にはとてもお薦めしたい映画です。

主演のイッセー尾形さん自身が「見ていない人と同じ土俵に立ちたくない」とおっしゃっている通り、
観ないで値踏みするのはもったいない作品です。

まず、なぜロシア人がこの映画を作るの?という素朴な疑問が沸くと思いますが、
多分いくら待っても日本人の中からこんな色彩の作品は生まれなかったと思います。
または、もしかしたら、自由に見える日本においても、このような映画は作ることが出来ないのか。。。

監督自身の日本理解、
そして随所に日本人スタッフが関わっているせいか、
はたまたファンタジックな独特の色彩やテンポによるものか、
外国人による無理解や異文化の違和感がなくすんなり観ることが出来、
それ故に観終わった後に、「一体この監督は何者なんだ?!」という驚きが残ります。
そして、役者たちもスゴイ。
ラストの表情。。。

重く、苦しく、静かで、そして美しい映画です。
映画館でぜひ。

※ DVDが出たので冒頭に追記しました♪

2006/09/15

日が暮れる


秋の空。。。

明日が良い日でありますように。
やっとのぞいた青空におねがい。

2006/09/14

青空への憧れ


あぁ、陽ざしが浴びたいなぁ。

ほんとの今日はどんよりお天気で肌寒いですが。。。

これも秋の一つの表情なのですね。。。

2006/09/11

雷雨


暑~いので窓を開けて眠っていたら、激しい雨と雷の音で起こされました。
2時間近く前かな。
やっと(さっきよりは)小降りになってきたけれど、まだ雷が鳴っています。

夏やその終わり頃の突然の豪雨、
以前は当然の現象だと思っていたし、気持ちが良いとも思っていましたが、
今年は何か、激しすぎる雨に立ち尽くす記憶というのが出来てしまったせいか、
少し恐怖も覚えるようになりました。

たとえばある日は朝からとても良い天気でしたが、
昼に用事が終わってビルを出ようとしたら夕立。
あちこちのビルから出ようとした人たちが、
明るい空の下そこでもここでも軒下に一斉に立ちつくしていた。

10秒か15秒も歩けば向こうの屋根づたいに駅へたどり着けるし、傘も持っている。
それでも絶対にずぶ濡れになりそうでためらってしまうほどの雨。。。

その時思いました。
これからはこうして、「立ち尽くす」ことが多くなるのだろうな、と。
ただ天を仰いで為す術もなく、誰もが立ち尽くす。
その時私(私達)は、確かに、その人それぞれのレベルで、何かに「立ち返る」のだろうと思う。
恐怖と書いたけれど、その「立ち尽くす」感覚は、何か感動にも似ていて、
また今こうして降りしきる雨を見ながら、静かに抱く感覚は、畏敬の念だと改めて思う。
この記憶を自分の中に深く刻もうと、ブログに向かってみる。

雨が小さな点から、地上に落ちて面になり、あらゆるモノの表面をなめらかにしていく。
その様子を眺めていたら眠れなくなってしまっただけだけど。(^^;



写真は、この記事の中身と全然違ってしまいました。(^^;

土日に行った合唱団の合宿先での出会い。
「…あなたは、以前会ったときまだ小さかったあのキミなの?」
と、聞いてみたら、こんなポーズをしてくれました。

…どういう意味だろう。(^^;

2006/09/09

池のほとり


んー、あっという間に週末です。
土日は合唱団の合宿に行ってきま~す。

2006/09/07

日ざし


んー、狙った構図通りにはならなかったけど。。。

まだまだ暑いです~。
日差しが、物を白くします。
その白さを味わう。
この白さが夏だから。
そしてこの静けさが、心の静けさに通じている。。。

2006/09/03

SOMETIME


いくつかの偶然が重なって、今日はジャズを聴いてきました。

PIANO HALL SOMETIME

昼は喫茶店で夜はバーになるお店です。
薄暗い階段を降りていくと煉瓦の壁にアメリカンアンティークな内装。
1人でも、2人でも、4人でも居心地のよい空間。
ライブは普段は夜だけで、日曜のみ昼もやっていて、それに偶然遭遇したのです。

今日はピアノ、ダブルベース、ドラムスの3人で、
最近流行のラウンジ系コンピレーションCDに入っていそうな渋めのジャズ。
…なんて安っぽいジャンル分けをしながら聴き始めたらとんでもない!

そんなに深く考えていなくて、一息ついたら立ち去る予定だったのだけれど、
はまってしまって結局1時間以上聴き続けました。

楽器を囲むように客席があって、どの席も楽器からそう遠くない。
それなのに、あぁなぜこんな大音量のドラムはそれでいて全くうるさくないんだろう。

…音楽しているからだな。

なんて時々考えつつ、そして時々没頭しつつ。
それから、三人のストイックなまでの演奏ぶりにも心打たれてしまった。
曲名が気になっていたら、私の聴いた1時間の間演奏された曲は全部ピアノの方のオリジナルでした。
そのステージが終了しなかったらそのままずっと何時間でも聴いていたかも。


それにしても、大金を払ったコンサートでぶつぶつ言いながら帰ることもあるのに
こうしてチャージ1000円とお茶代だけで心の底から満足してしまうこともあるんだから、
音楽って不思議ですねぇ。

ああそういえばいつかなど、公園で太鼓一つで歌うお兄さんの音楽がすご~くよくて、
日曜の日だまりで幸せになったこともありましたが、
彼は特にストリートミュージシャンというわけでもなく、
その幸せは、値段なし、でしたね。


それから、東京って、人がいっぱいいることがやっぱりパワーなんだな、などと思う。
名も知らぬスゴイ人たちが、あっちにもこっちにもいるということ。
それなのにお互い道ですれちがえば、邪魔だとかウザイとか思ったりしてしまう。
もっとお互いに敬うことが出来るはずだけれど。

敬うべき人たちに会えたから、気付いたから、今日は良い日だったと思う。

2006/08/31

対峙し、浸透し…


夏の日差しは強力で、物は明るくなると同時に暗くなる。
それは単純に光の部分と影の部分が出来るということではなく、光の中にも影を落とす。
両者はいかに一体かということを感じる。
白く明るく、しかし白くなりすぎれば消えていく。
オレンジの光も、強くなりすぎれば昼でも影になる。
そして黒い影も白くなる。

果てしなく明るくなるのかと思いきや、極まれば逆のものになる、この感じが大好き。夏。

2006/08/30

なるようになる


…ということなんだなぁ、と、ふと思う。

2006/08/29

ビル風

この花を綺麗に撮ろうと、風が止むのを待っていました。
時々ほんの少し止むのですが、またすぐ吹きだしてブレるのです。
結局時間がなくなって、なんとな~く納得出来ないまま立ち去ることに。
その風がビル風で、待っても止む見込みは少ないと後で気付きました。
んー、都会の安らぎなんてそんなものか。。。

こんな日の私も、私、かな。

2006/08/28

小さな人の輪


PHOTO: 6月末の鎌倉にて。


ちょっと遅れましたが、土曜日はアンサンブルグループの総会(飲み会)でした。
私はこの当日結構バタバタしてしまい、
そのため宴会に旅行のお土産を持参するのも忘れてしまったし、
何よりも具体的な曲、CDなどの提案事項もなしに手ぶらで本部(個人宅)にお邪魔することに。
そしてやっぱり予想通り、曲は決まりませんでした。
選曲したいと本気で思うなら自分で動かないとだめですよね。
もうかなり反省です。

しかし、大分遅れて到着してみると、出たいコンペティションや会計方法、
具体的ではないにしてもどういう曲をやりたいという方向性など、
今後必要と思われることはちゃ~んと決まっていた!
みんなさすがだ!
そしてやっぱりみんな歌が大好きなんだなぁ。

…というわけで私はその日ほとんどごちそうを食べて歓談するためだけに
行ったような形になりました。
ごちそうさまでした。m(__)m

そんな風に何か色々学びつつも、
ほとんど主体的に運営することは考えずに気楽に参加する宴会。
なかなかゆるくて、良い感じ。
でも次回はちゃんと曲持っていこうっと。

小さな人の輪を大事にしよう。

2006/08/27

一発勝負


PHOTO: こういう咄嗟の集中力がもう少し欲しいです。。。


今日は「結果を残せない日」でした。
…良いや、また頑張ります!

2006/08/26

PENTAX FORUM へ

先日までの旅行、その最終日、青森県立美術館を出たところで急にカメラが起動しなくなりました。
最終目的地に着いてカメラも安心したのか。。。
まあ充電切れだろう、と思いつつ帰宅してフル充電してみたものの、立ち上がらず!

追求する暇もあまりなく、
原因がわからないまま数日経過。

後日新宿の PENTAX FORUM に行ってカメラを診てもらうと、…

電池を入れ替えたら動いたじゃん!

?????

その後なぜか、もともと入れていた電池でも普通に動くようになり、
窓口の方も、「うーん、まあ様子を見てみてください。」とおっしゃってました。

あれは本当にカメラの旅疲れだったんだろうか。。。

でもついでにCCDとファインダーのクリーニングもしてもらいましたし、
この
PENTAX FORUM ってなかなか面白い場所で、行って損ではなかったです。

修理や問い合わせの窓口と、PENTAX 商品のショールーム、ソファ、
写真関連のちょっとした本棚、それにギャラリーが併設されています。

私が行った時は
井上六郎さんという方の個展になっており、
『マイヨ・ジョーヌ』という展示をしていました。
自転車レースの写真ですね。
(とっても綺麗なので興味のある方はリンクへ飛んでいってみてください。)
作家さんもいらっしゃっていました。
質問したり出来るのはギャラリーの良いところです。

このビルには同じ階隣りにエプソンのギャラリー
epsite も入っているので、
(そして Canon も同じ階に入っています。なぜかたまるのかな?)
2つのギャラリーを連続してまわると、
ちょっとした写真美術館に行ったような満足感を味わえます。

絵もそうだけれど、芸術鑑賞は美術館だけじゃないですよね~。
もっとギャラリー巡りしてみようかな。

秋になると、美術館も毎週どこかへ行っても追いつかないくらい展覧会ラッシュになりますね。
今年は
サルヴァドール・ダリ生誕100年!

弘前昇天教会 2

まーぶしー。

2006/08/25

教会


弘前昇天教会 県指定文化財

吉井酒造煉瓦倉庫に続き、弘前の誇る美しい建物第二弾です。
こちらも中央弘前駅のすぐ近く。
何度かこの前を通りましたが、その度に誰かが写真を撮りに来ていました。
絵になる構図をいっぱい持っている正公会の教会です。

この教会や、県立美術館などを観ていて、
青森の美しい建物の条件は雪の情景の似合う建物であるような気がしました。

2006/08/22

表現しないと生きていけない


PHOTO: 金魚ねぷた折り紙


今回の旅行中の色々な経験から、
私、作品を作ってみようかな、って思い始めました。
デジカメで撮った写真は、画面で観るだけなら電力以外一切かからないので、
とっても安くあがる趣味なんですけど、
やっぱり時に何かの形にするところまでやらないと、
作品とは言えないですよねー。

それにやっぱり写真には色々な性質があって、
ここに載せているみたいに1枚ずつでも良い場合もあれば、
1枚では意味がなくても組写真にすると良かったり、
スライドショーにするとよかったり、
引き延ばさないとだめな写真もあれば
マッチ箱みたいに小さくしたほうが良い写真もあるんですよね。

一つの形式をある程度継続してみたくて今のブログの形式を選んだのだけれど、
それだけというわけにはいかないみたい。
写真を撮る技術だけで写真が成り立っているわけではないんですねぇ。

歌仲間との旅で、音楽について考えたり、
写真を観たり絵を観たり、建築を観たりしていて、
やっぱり、自分のやれることならどんな表現手段も
使っていかないといけないのかもしれないと思ったんです。

写真を撮り続けているだけじゃなくて
結局最後には絵も描かなければならないのかもしれない。

奈良さんだって、ドローイングや立体造形であんなに表現出来るのに、
写真も撮っている。

有名な写真家のアンリ・カルティエ・ブレッソンは多くのスケッチも残している。

なぜ?
描かざるをえなかったからとしか言えないと思います。

自分が今考えていることをこうして文章に残すことは、
自分自身が欲していることであるように、
歌だって、写真だって、ヨガだって、
やめようと思えばいつでもやめられるという単純なものじゃなくて、
そういう表現をしないと多分私は生きていけないからそうするんじゃないかな、と漠然と感じる。
だからどれもこれも、単なる「趣味です」と言ってしまうことを私は好まない。

雑記帳に毎日いろんなことを書いています。
その日その日を記録して忘れないようにしたいから?
いや違うなぁ。
自分の今考えていることを残しておきたいからというのは当たっている。
それに、今まさに生まれようとしている「考えの入り口」を失わないようにメモしておいたり。
明日へとつなげていくためだったり。

歌うことによって、今の自分の感性がどういう振れ幅を持っているか、
深度はどれくらいか、
どれだけ打つとどれだけ響くか、
敏捷性はどうか、
自分の軸から自分がブレていないか、
色んな事を確かめてみる。

そんな風に、純粋に歌うこと、合唱すること自体が好きというよりも、
歌っていない大部分の時間帯の自分、
そもそもの自分というものの本体が歌うことを必要としているから歌う。
自分にとって音楽というものがそういう意味を持っていることは、
ずーっと前から知っていた。

奈良美智さんが言っていたっけ。
自分は職業としてこの道を選んだというよりも、生き方として選んだということだ。

生き方として…
その点だけなら、私も同じだ。
例えばヨガだって、もはや生き方として選んでいるとしか言えなくなっている。
ただ、それらを職業にしていない「だけ」。
(もちろんそこには海よりも深い違いがあることはよくわかるけれど。)

職業にしないからといって、一つ一つの表現を深めていく努力、
技術を増していく努力は大事だ。
でもそれと同じくらい、表現手段を多く持っていることも大事なように感じる。
上手いとか下手とかじゃなく、それらはなりふり構わずしなければならないと思う。

かっこつけている余裕なんて全然なくて、
たとえば祈ることと同じで、
必要な時に必要なだけ、必要なやり方で。

さて~、どんな作品作ろうかな~。

でも生まれてくる目の前の作品は、
きっと趣味とよべる小さな楽しみなんだろうけどな。(^^;

2006/08/21

一度では話せないことも書ける

PHOTO: the way to HIROSAKI


ブログって、1回の会話で説明するのは難しいことも、
何度かにわけて一方的に発信できてしまう便利なツールだと思います。

つまり、「私」という人間に関するコンテクストを読者の中に構築してしまおうという厚かましさがあるわけです。
他人の長期記憶を構築できる、という言い方もできますね。
もし、いつも読んでくださっていれば、ですが。

一つの主張をする時には、いきなりするのでは無意味で、
そのコンテクストから説明しなければならない。
だから時々私は、ある用語に関する単なる解説ともとれるような記事を書くことがありますが、
何も自分の得た知識をひけらかそうというわけではありません。(ex.発酵と腐敗)

ひけらかすほどの知識があるとも考えていないし、
一つ一つの知識そのものがそこまで重要なわけでもない。
ただその記事そのものよりもその先にある主張にたどり着くための足がかりとなるのです。
自分という人間の何かを知ってもらおうと思うとき、
先に説明しておかなければならないことがあれば、書かなければならない。

こうしてブログを持っていることによって、時に自分のバカさ加減をさらけ出すとしても、
私はこうして勝手に構築し、勝手に提示することの出来るツールを持っていることを嬉しく思っています。

などなどと述べつつ、今日も旅行の写真を貼って、おやすみなさい。。。

2006/08/20

白い花火


「この花花火みたいできれいだね~」
「花火が花みたいなんだよ」
「世の中の大発見はみんな大発見じゃないんだから。人間が知らなかっただけなんだから。」
「そうだね、自然はもともとこうだったんだね…」

広い湿原、木道、咲き乱れる日光キスゲ、その他の小さな花たち、澄んだ水、
青い海のような山々の峰、吹きすぎる霧、低い木々…

星をみること



「年を重ねることは常に喜びであると思う。」
…と、手放しで宣言できるほど、常に大人でいられたらいいけれど、そうでもない。
ただ、ずっと前から私の信条ではあります。
今回は本当にかみしめた。
何かを純粋に、自分の重ねてきた年月の重さ分味わう。
この旅のキーワードでした。

この花もそうだけれど、星と、花火大会を観ながら特にそう思った。
夕方まず北斗七星から北極星を探し始めて、
次第次第にたくさんみえるようになりました。天の川も。さそり座も。
夏の大三角形、わからなくて教えてもらいました。ありがとう。(^^)/
ずいぶん長い間星ばかりみていましたね。

花火は人混みの中じゃなく、少し距離があったのがよかったです。
緩やかな斜面の上に立って遠く眺めると、
草原に花火は自分たちだけのものだったし、
背後には星も山も、深かった。

星と、花火と、また星と…
観るというただそれだけのことを、ずいぶん長い時間かけて。

私は星を観ながら、これは「子供にかえる」という感覚とは違うな、と思った。
純粋さは確かにあるのだけれど、
子供のようになんて観ていなくて、今まで重ねてきた年月の分、ちゃんと重く感動して観られた。
傍には友人たちがいて。
そういう手応えもあったから、実感としてしあわせのようなものがこみ上げてくるのを感じながらそれらを観た。
とても確かなものとして。
また奇跡として。


流れ星は、気のせいかもしれないのが3つと、確実なのが1つ。
確実な1つには、願い事はできたと思う。
3回は無理だけど。
こういう行為は子供か大人か??

(※ 星の写真はないのでありました。)

2006/08/18

夏のかけら


というわけで旅行から帰りました~。
結構余力は残しております。
ゆるい感じがなかなかよい、今回の行程でした。

写真…どうもみんなと一緒に過ごしている時に大きなカメラを持ち出してきて
カシャカシャ音をさせるのが好きではない私。
だからせっかくの旅行ですが、人物写真はなかなか撮れないんですよ~。

レンズを向けることで相手に抵抗を感じさせないくらい
自然にそこにいられるようになると良いのですよね。

さて、今日の写真は、八幡平のコテージ前に大きな蟻の巣を作っていた主、です。
後ろの三角の黒い影はコテージの屋根です。
16日の早朝撮影。

明日以降ゆっくり選んでまた載せます。
とりあえず今日はおやすみなさ~い。

2006/08/16

八幡平、弘前、青森旅行中…

せまる山
深まる夏の色
オレンジの光
光る田畑
路傍のひまわり
深い影
道の両側から押し寄せる静寂
濃密な青空
友人たちとの会話。。。

コテージ
やさしい近景の斜面
木立
レンゲの足元の大きな蟻の巣
見上げる山の力
色彩
木々の言葉のように押し寄せてくる沈黙
かみしめる時間
軒先の若い栗のイガ。
暮れる空

傍らの友人
北極星
増えていく星をみながらこみあげてくる気持ち。
流れ星の刹那

遠く眺める花火大会
頭上の天の川
薄れていく言葉の必要性
仲間の存在、
自分、

温泉の湯気
部屋での語りあかし
色濃く埋め尽くす山の静けさ

あぁなんて、…夏休みなんだろう!
感動や、穏やかさや、美にあふれる8月15日にずっとずっと感謝し通す。


そして今日も、やっぱりたくさん経て、弘前に泊まっています。
明日別な場所にもう1泊して次の夜には帰宅予定。
贅沢。。。

2006/08/11

祈る


心の中に、いつも火が燃えていますように。
身体にも、そうでありますように。
そのあたたかさを、いつも信じていられますように。
その火が、いつも正しい方へと導いてくれますように。

2006/08/06

空日記 diario del cielo


冬の間、全然写真を撮っていなかった。
えい!と一眼レフカメラを持ち出してみても、全然撮る気にならなかった。
冬眠、してました。
春になって、よーし、とカメラを持ち出しはじめて、このブログを始めました。

でもね、冬の間、空日記だけはつけてました。
日が沈むのが早くて、5時頃には真っ暗な冬。
昼間全く空をみないで仕事やいろんな作業をして過ごしているのが不毛に思えた。
朝起きて外に出たら、携帯カメラでパシャッと1枚。
信号待ちやちょっと立ち止まった一瞬の撮影。
綺麗に撮ろうとか、美しいなとかそんなに意識するでもなく、ただ毎朝空を撮る。
余計な建物は写さないで、ただ空だけが写るように撮る。
空を携帯に収めておいたら一日一緒に過ごせるような気がしたのかな。

そして、ただ真っ青とか灰色とか、色だけしか写っていないようなその写真を、
夜、日記に貼り付けたりしてました。


その空日記をふりかえる。
単調な色の繰り返しの中、ちょっと美しい体験がありました。

朝起きてカーテンをあけたら、見慣れたビルとビルの間に赤々と朝陽に照らされた見慣れぬ美しいものが輝いていた。
それは、真っ白く雪をかぶった富士山!感動!
うちから富士山が見えるなんて知らなかった私。
あんなに大きいのに、冬の澄んだ朝しか見えないみたい。
空気って不思議。。。
こんな文章を書きながら、「ビルとビル」の間が写るのが嫌で、この日の空日記もやっぱり朝焼けの空だけを撮っている。


今日は久々に、そんな劇的な空日記が書けそうだった。
夕方の空は、半分はまだ青く、半分は赤く美しかった。
その夕焼けの方向を向いて写真を撮ろうとするのだけれど、
どこまで行ってもあちこちの建物が邪魔でその赤く輝く方向が見えない。
そんな時間にそんなところにいた自分に運がなかったのだけれど。
観念して頭上の空をまっすぐファインダーに納める。
今日の空日記。

2006/08/04

雲かけ豆腐


醒狂道人何必醇著 『豆腐百珍』より 佳品 四十四 雲かけ豆腐


『豆腐百珍』を、そのうち極めようと思うのですよ。(笑)

今日の料理は江戸時代に書かれた豆腐料理のバイブルより、です。

水切りした豆腐に白玉粉をまぶして蒸しあげ、山葵味噌をのせたものです。
蒸しあがり、半透明の膜状になった白玉粉が雲のようにふんわりと見える…はず。^^;

山葵味噌は白味噌、白胡麻、胡桃、酒、山葵をすり鉢であたって作ります。
えーと、原典(私のは今貸し出し中)には分量なんて書いていなかったような気がします。
白味噌をベースに酒で水分調節。お好みの配合で適当でも美味しいです。
写真では胡桃と山葵をトッピングしました。

白玉粉の食感が、ごま豆腐に通じるモチモチ感を生みます。
すごーく上品な美味しさでお薦めですよ~。

2006/08/02

今日の猫 diario del gatto


う~ん、眠すぎて何も書けない。。。おやすみなさ~い。

2006/07/31

梅雨明け、夏


う~ん、日曜日とても天気がいいなぁ、と思っていたら梅雨明けしていたんですね。

私は夏大好きです。
たとえば関東以南では時々観られるくっきりとした入道雲の形や、
日差しの眩しさ、逆に、日陰の心地よさ、(この光と影のコントラスト!)

スイカ、とか、セミ、とか、具体的なことは書いたらきりがないですね。

汗をいっぱいかくと、空気と、汗と、自分の身体との境目が全部曖昧になる感じがしませんか?
私はこの感覚も、結構好きだったりします。
(反論がいっぱい来そう~)

夏があっという間に去っていく東北には永住できないなぁ、と思ったこともあります。

寒さの中では、動けないです。
ちょっと悲しくなるし。。。

暑さの中には、悲しみはない…というわけではないけれど、
抽象的なたとえをするなら、寒さは悲しみで暑さは決意だと思う。
…根拠なしですね。(^^;

暑いときは、気合いがあれば動けます。
この辺はきっと人によって違うんでしょうね。
私は暑い、暑い…と思っていると、逆に自分にすごく集中できていく感じがする。
(ん?上手く表現できません。)

去年の京都、ものすごい暑さでしたが、一日中足が棒になるほど歩いた日がありました。
ものすごくまじめに勉強するつもりで丁寧に丁寧に観光しました。
途中で身の危険を感じてお寺の隅の水飲み場で水をかぶらなければならないくらい暑かったですが、
すごく集中できて充実しました。

正真正銘の田舎と呼べる場所に暮らしたことはないけれど、
海や空、風、木々など、夏の魅力を伝えるものの恩恵はずいぶん受けて育ったし、
それが根本的に夏好き人間を作っているのかなぁ。

…さてと、オチがないので、今夜は夏野菜カレーでも作るかな。

2006/07/29

玉ねぎのロースト

料理の写真、ずーっと撮りたいと思っていました。

多分スナップよりも料理の写真の方が、私のやりたいことです。
自分で作って、セッティングして、じっくり撮る。
「その場に居合わせなければならない」という焦りがないのが良いじゃないですか~。

でもなかなか、いつもの私のフォトログサイズにして公開できるクォリティーの料理写真、
っていうのは難しいですね~。

蛍光灯や白熱灯だと、なぜかすごく美味しくなさそうに写るし~。
今日はふと、
昼間で、曇っていて、均一なやさしい自然光の入るテーブル。(の上の料理。)
こういう何気ない条件が揃っていたので、撮ってみましたが、
だめだ~、と、小さい写真をアップです。


いつか、大きな写真をばしばしアップだ~。


月森紀子さんのレシピより 「玉ねぎのロースト」

玉ねぎを皮ごと、塩と油をかけてただオーブンで焼くだけです。
ソースのレシピなどは月森さんの本をご覧いただきたいですが、
ソースがなくても玉ねぎが甘いから、塩だけでも十分かも。
ウマイです。
料理とは呼べないくらい単純ですが、シンプルって気持ちがいいし、美味しいな。